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赤蛙とくさ木の虫

赤蛙とくさ木の虫

 寛政4(1792)年、今から300年も前の話です。
 5月25日、砂川の陣屋から当時の村に通知が来ました。

赤蛙くさ木の虫、御鷹方へ御用

     赤蛙
     常山虫
     但し生きていること

 これは御薬物なので、御鷹場内すべての村役に仰せつける
 去年通り、それぞれの村が、人足をだして捕らえ
 27日、砂川の陣屋へ差し出すべし
       砂川陣屋 御鳥見役

 意訳しました。東大和市の内野家に残る文書です。
 当時、狭山丘陵一帯は尾張徳川家の鷹場に指定されていました。鷹狩り専用区域です。ひどいもので、その鷹と獲物のために、獣一切を捕る事が禁止されました。畑を荒らす猪を駆除するにも許可が必要でした。
 ここを管理する役所が砂川(立川市)にあって、この命令です。
 幕府が諸大名に異国船に対する海防警備を命じているさなかです。

 赤蛙はわかります。常山虫(じょうざんちゅう くさぎのむし)はコウモリガ、カミキリムシの幼虫だそうで、樹木に穴を開けて成長していました。これが薬になり、珍重されたようです。
 そこで、村々で人足を用意して、捕まえて差し出せとのお達しです。しかも通知が25日に来て、27日に差し出せとのことです。村人達はハアハア云いながら捕まえたと思います。

DSC_4166.jpg

 結果がどうなったのか知りたいです。誰のための御薬物なのでしょうか?
 『里正日誌』第三巻が発刊され、さっそく目を通しました。コロナ騒ぎの真っ最中、これは何事かとp109に目がとまりました。
 ところが命令はこの通りですが、顛末が残されていません。
 本当に残念です。
 
 苦労したんだろうなと、じっとしていられなくて、古いアルバムから狭山丘陵の画像を探しました。新緑から深緑に変わろうとしています。
 村人達は、溜め池で赤蛙を捕まえるためここを下ったんだ。その途中、常山虫を探して目を光らせて歩いたに違いないと思うと、たまりません。

 (2020.06.03.記)

 市指定文化財郷土資料 石橋供養塔(本村橋)を書きました。

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野火止用水

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