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狭山丘陵の古墳と東大和市の古墳時代

狭山丘陵の古墳時代遺跡

(1)狭山丘陵北側では
所沢市 狭山丘陵と所沢台地に挟まれるように流れる柳瀬川左岸の台地上に、山下後・村中・膳棚東の3遺跡があり、岩崎古墳群と呼んでいます。円墳で周溝を伴い、直径20メートル、木棺直葬で、埴輪はないとされます。
 さらに、狭山丘陵の舌状台地に海谷古墳群があり、直径25メートルの円墳2基と小さな石室跡一基で構成されています。年代は7世紀初頭~中頃と考えられています。
 
 二つの古墳群の特徴について、所沢市発行の『ところざわ歴史物語』は「二つの古墳群が語るもの」として
『岩崎古墳群の副葬品は、装身具や直刀等の象徴的なものであったのに対し、海谷古墳群の副葬品は、装身具の他に鉄鏃や刀子等の鉄器類が加わり、武装的な副葬品に変わった。岩崎古墳群は在地の氏族集団の有力者が被葬者であるのに対し、海谷古墳群の被葬者は、鉄鏃などの武器を所有する武装者集団であったと考えられる。』としています。(p11)

入間市
 入間市史では狭山丘陵周辺に古墳時代の記述はありません。
 
2)一方、狭山丘陵南側では、発表されている町史、市史関係による古墳時代の遺跡地は
 東村山市 古墳時代としてあつかう遺跡、37遺跡(市史5資料編考古p618)
 武蔵村山市 散布地も含めて18箇所(市史上p233)
 瑞穂町   神明社、小山(殿ヵ谷小山淵)を紹介、以外は不明(町史p108~110)
 東大和市  町史・市史共に不明
 です。
 いずれの地域も、現在では、もっと増加していると思われます。
 
東大和市の古墳時代遺跡

 町史・市史共に明らかにされていませんが、昭和51年(1976)、村山貯水池の水を抜く工事が行われ、その間を利用して発掘調査が行われました。その結果は古墳時代に該当する遺跡は、
●多摩湖第七遺跡から、土師器片39点、須恵器片15点が採集されています。古墳時代から奈良・平安時代までの複合遺跡であることがわかりました。しかし、残念ながら、住居跡などは発掘されませんでした。
●隣の第八遺跡に平安時代の住居跡の存在の確認、第十二遺跡から平安時代の住居跡一つが発掘されていることから、この周辺一帯に当時の人々の生活が営まれていたことが想定されます。
 この地域は、別に紹介した湖底に沈んだ古村・内堀とその周辺になります。

 狭山丘陵の古墳時代遺跡は柳瀬川流域に散在していそうです。これからも、執念と根性で発見して行きたいものです。
 
所沢の古墳台地・内堀入り_edited-2

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