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気になる玉川上水

時間のやり繰りが多少出来て、元気になってきたのか
束の間の時間を作って
玉川上水まで歩きました。
鴨も正月休み 
小平監視所手前の現在の玉川上水の末端部分では

鴨も正月休み2 
鴨も正月休みでノンビリ。
まあ、良かったと、上水に降りるといささか気になります。

荒れ始めた玉川上水
(クリックで大)

清流が復活した玉川上水の掘削面に、少しずつ崩落が始まっています。
この場所は黒井千次さんの「のびどめ用水」で、
主人公と黒いコートの女性と出会う主要なところでもあります。
保存には様々な困難が理解できます。
でも、このままでいいのでしょうか!!
(2014.01.04.)

玉川上水の秋

散歩道 久しぶりに
西武拝島線玉川上水駅南口から玉川上水縁に出て、上流へ

「ワタシテキには、こうユウところって、ダイスキ・・・」
「そんな、ジジ・ババみたいなこと言ってさ・・・」
若い女性が二人、それぞれに、しゃれたカメラを構えて撮しています。

IMG_0926のコピー
ワタシテキ??
「きっと私的って書くんだろうね?」
連れ合いに聞くと
「もうとっくよ・・・、アナウンサーだって使うんだから」
「ヒエー、じゃー、私的に撮ってみるか」
案外良い言葉かもしれないと妙に納得で、シャッターを押しました。

IMG_093722.jpg
玉川上水縁にも、少しずつ、黄色が見え始めました。

玉川上水の秋3 
 大好きな根っこは、また年輪を重ねたようで
「そんなもの撮るのはあんただけ・・・」
「ワタシテキに、敬意を表してんだ」
「フイルムじゃないから、いいけどさ」
云い合いはしばらく続きます。

玉川上水の秋4
根っこの側にはドングリが
「可愛いわねー。夕日が、お休みなさいを云ってるわ!」
「ヘー、あんた的には、ドングリとお日様の声が聞こえるんだ」
「トンチンカンとは、付き合いきれない」

IMG_09502.jpg 
「あー、ツタは、秋、真っ盛りね」
「ウン、もうすぐ雑木も紅葉するね、来週かな」
また、報告します。(2013.11.14.)
(画像はクリックすると大きくなります)

玉川上水・野火止用水 清流復活の水

 野火止用水の水は、現在、どこから流れているのか? 
 この疑問を解きに来てぶつかったのが、西武新宿線玉川上水駅南口を降りて間もなくの「上水小橋」に集まる数人のハイカーの声高の会話です。
 
清流復活の玉川上水
「上水小橋」からの玉川上水
昔のままの素掘りに音を立てて水が流れています。

「ここから先、流れてる水は多摩川からの水じゃないって、説明されたけど・・・?」
「そんなことあないよ、羽村の堰からの多摩川の水さ。今は水槽になっちまったけんど、そこに取り入れ口があってよ、ちゃんと石垣が積まれていて、間違いなくそこから流れていた」
 地元の方の話は具体的です。そして説明役 
「確かにそうでした、昭和48年頃までは・・・。でも、今は違うんです」
 と云っても
「いや、とんでもない、この裏で、岩の間から羽村からの水が吹き出してるぜ。」

清流復活口
どうも、ここに、仕掛けがありそうです。

「ほんとだ、水が湧いている」
「大きい鯉もいるし」
わいわい、なかなか納得されません。その種明かしです。

小平監視所周辺

 上水小橋から、東京都水道局小平監視所まで登ります。建物の壁に説明板が掛けられています。

砂川線説明図 
沈砂池から砂川線、小平分水(新堀用水)が地下に潜る

 沈砂池から砂川線で東村山浄水場、小平分水(新堀用水)へと大小の管に分かれて、玉川上水で運ばれてきた多摩川の原水は全部地下に潜らせて運ばれています。これでは、下流の玉川上水へは流れません。現に見てきた水はどこから来ているのでしょう。もう一つの案内板があります。

清流の復活案内板
清流の復活記念碑
昭和61年(1986)8月 東京都知事鈴木俊一
と揮毫されています。
その横に東京都環境局自然環境部の案内板があります。
処理水送水管ルート
東京都環境局自然環境部 清流の復活案内板一部拡大

 昭島市にある多摩川上流処理場から朱書きの現在地=小平監視所まで、点線で送水管が記されています。高次処理された処理水の送水管の経路です。小平監視所の職員さんに聞くと、監視所と先に紹介した岩からの湧き口の間に栓があって、送られてきた処理水が、玉川上水と野火止用水に流されているのだそうです。
 これが、一度涸れた小平監視所から下流の玉川上水に清流が復活した仕組みでした。野火止用水も同じです。こちらは玉川上水よりも早く、昭和59年(1984)に清流の復活がされました。

 昭和40年代末に玉川上水も野火止用水も水が流れなくなり、堀は埋まり始め、汚水が流れ込み、まさに破壊寸前でした。その時の荒れた姿を思うと涙が出てきます。清流復活に多大な努力を傾けられた方々に感謝です。

玉川上水 江戸時代の赤土に感動

 玉川上水は紅葉が真っ盛りです。行き来する人の心も和むのか、笑顔での挨拶が交わされます。

玉川上水小川

 その中で、都立小平西高校東側で、玉川上水の縁(土揚敷・散歩道の柵と上水の間)の発掘調査が行われていました。東大和市清水(武蔵大和駅付近)から国立駅に通ずる都市計画道路(東大和市内では「けやき通り」の愛称)の整備(架橋)に先立つ調査でした。

玉川上水発掘調査
両側の一部が調査されていた

玉川上水発掘箇所
発掘箇所(白い土嚢に囲まれた箇所)と上水の壁の現状

 ほぼ垂直に近い堀面の上に、発掘した地層の断面を見る事が出来ました。赤土の層がはっきり残されています。発掘担当の方の説明は、懇切丁寧で、承応2年(1653)、玉川上水開削の際のロームと考えられるとの見解を話されました。武蔵野の原野を開削した500年近く前の赤土で、これには、感激しました。

玉川上水ローム
発掘された江戸時代の赤土

 さらに、興味がそそられます。赤土を挟むように重なる黒土は上が開削後、下が開削前と理解できます。その開削前がどうなっていたのか、この黒土は語るはずです。雑木が生えていたのか、ブッシュか、草原か、武蔵野が夢のように浮かびます。しかし、そう簡単ではなさそうです。「もしかしたら削平されていたかも」との指摘もありました。改めて、玉川上水の工事の仕方が解明されるかも知れません。これからの調査成果と報告書の発刊がまたれます。感動、感動の一時でした。(2012.11.25.)
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野火止用水

Author:野火止用水
 歴史大好き爺です。

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