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明治時代の東大和

明治時代の東大和 
 東大和市郷土博物館企画展示
 2018年9月15日~10月21日

 楽しみにしていた「明治時代の東大和」、いよいよ展示が始まりました。
 一見、表や説明板が並んでいて「オヤ?」と思います。
 でも、読み込んで行くとこの企画独特の世界に引き込まれます。

2明治150年展示会場640
 展示会場 クリックで大

4明治時代の出来事1640
 展示の一面 クリックで大 (許可を得て展示状況を撮影しました)

 展示の最初の部分です。淡々と資料が並びます。年表もいきなり振武軍から始まります。
 「これは参った・・・」
 と目を右に移すと振武軍の資料があります。
 「軍用金の受取覚」が並び「振武軍に軍用金を出した組合村の範囲とその額」の美しく色分けした地図が展示されています。
 このように、ちょっととっつきにくく、地味ですが、内容はビックリするほど多岐に亘り豊富です。
 何回か通わないといけないなと痛感しました。
 参考までに、東大和の歴史に展示の概要明治時代の東大和を書きました。

  (2018.09.19.記)

五日市憲法草案の原本が見られます

五日市憲法草案の原本が見られます

 東大和市立郷土博物館
 9月21日(金)、22日、22日(土)、23日(日)24日(月)

 今年は明治150年、五日市憲法発見50年になります。東大和市郷土博物館ではその記念事業として
 「明治時代の東大和」として企画展示を計画しています。
 その中で、五日市憲法草案の原本が展示されると報ぜられています。

DSC_58241400.jpg
 五日市憲法草案の碑(あきる野市)

 草案は五日市(あきる野市)の深沢家の土蔵から発見されましたが、東大和市にも関係があります。
 明治14年(1881)、草案作成の最終段階の時期に、起草者である千葉卓三郎が東大和市奈良橋の鎌田家に滞在していました。

 狭山丘陵周辺で、自由民権運動が盛り上がって来た頃でした。
 千葉は鎌田家に逗留し、長男喜三、次男喜一郎、三男弥十郎と意気投合します。
 そして、明治14年(1881)9月28日、狭山円乗院で開かれた学習懇親会に、大きく関わっているようです。
 千葉が五日市の深沢権八宛に出した書簡葉書が残されています。自らも加わって準備を進めていた狭山自由懇親会への出席の要請です。
 葉書には、奈良橋村の住所が記され、小川郵便局の消印が押されています。

鎌田家千葉逗留
千葉卓三郎が滞在した鎌田家

 さらに、千葉が行ったと考えられる当日の演説草稿が残されています。
 「自由ノ理明カナラザレバ民権起ラズ、民権起ラザレバ自治ノ気象振ハザルナリ、自治ノ気象振ハザレバ知識焉(いずく)ンゾ進ムヲ得ンヤ、・・・速ニ国会をヲ開キ、立法ノ大権ヲ人民ノ手ニ掌握セシメント・・・」(『東大和市史資料編』10p67)
 国会開設への強い意思を示します。

 五日市憲法草案原本を前にして、東大和市との関わりを考えるヒントになればとご案内します。
 併せて次の関連イベントが開かれます。

 ・平成30年9月24日(月)午前9時30分~11時30分
 ・講演会 東大和の自由民権運動と千葉卓三郎
  ~五日市憲法発見50年をふりかえって~
   講師 新井勝紘氏
 ・朗読劇 東大和の自由民権運動とそれを支えた人々
   出演 市民大学朗読劇の会

  盛会になることを夢見ます。

  朗読劇 東大和の自由民権運動とそれを支えた人々の概要について書きました。

  (2018.09.12.記)

少しずつ復活します

「早く降りてきて、初物の栗ご飯炊けたわよ!」

DSC_9728.jpg
(クリックで大)

お見舞いにと下さった初栗です。
「旨いね、味がしみ込むようだね・・・」
「それに、何よりも縁起が良いじゃない・・・」
「元気出せよ、動き始めたら、と云ってるみたいだね」

 長い間ご無沙汰しました。快活なお医者様に出会い、
「また、バリバリやれば、良いじゃないですか」
と励まされて、いくつかの疾患を時間をかけて直すことになりました。

外出を控えているお陰で、調べ物が出来ます。
パソコンの目まいを避ける時間に、図も書けます。

明治6年蔵敷村文字入500
(クリックで大)

今まで、ざっくり見てきたことを見直せるゆとりが取れます。
一つに、蔵敷村でも、山の神は新田開発した畑にありました。
近くに、書きます。

ということで、少しずつ復帰したいと願っています。
日々、力づけを頂き、有り難うございました。
心からお礼申し上げます。

(2018.09.09.記)

猛暑お見舞い

猛暑お見舞い

 連日の猛暑お見舞い申し上げます。

 「もう20分たったわよ!」
 「クラクラしないうちに降りてきて!!」

 パソコンに向かい始めたかと思うと、重ねて声がかかります。
 普段の不摂生が一度に出たらしく、作業を始めて20分くらいたつと肩がこってきて、目がクラクラします。
 初めて経験する目まいです。

 「お茶にするから早く来て」
 「○○さんから頂いた金魚が待ってるわ」

 気遣いに、やむなく画面を閉じます。

DSC_9677640.jpg
(クリックで大)

 「オー、見てるだけで涼しいね・・・」
 後期高齢者にはこの猛暑はいつの間にか負担を負わせているようです。

 「暫く、我慢しなさいよ。そう、焦ったってしょうが無いじゃない」
 ということで、「東大和の歴史」のほうも休んでいます。
 しばらくの休憩をお許しください。
     (2018.08.10.記)

とってもついて行けない明治の学校

とってもついて行けない明治の学校

 ビックリしました。明治の小学校です。
 明治6年(1873)2月、神奈川県令大江卓から当時の蔵敷村戸長のもとへ「学制発布に付き学校規則」が送られてきました。
 東大和市蔵敷の内野家に伝わる「里正日誌」13巻に収録(p58~62)されています。

第六則
一 小児七歳に相成候はば、男女の別なく、其近傍の学舎へ差出すべき事
 但、七歳に相成候とも、病気其外止を得ざる状情これあり、
 小学舎へ差出しがたき分は、其旨 巨細 戸長へ届出べし
第七則
一 女子の儀も、当今の時勢に対し、無学に生育いたし候はば、
 実に恥べき儀に付、男児同様小学所へ差出べき事
第八則
一 学課を五級に分け、一級毎に授業六ヶ月を限る、六ヶ月に至り、
 試験の上昇進すべし、
 若し此月数卒業に及ばざるものは、尚六ヶ月間教授すべき事
 (中略)
第十五則
一 父母貧寒にして家業世話しく、又は勤仕等にて昼間稽古成がたき者は、夜学致べき事
第十六則
一 月謝は一ヶ月金壱朱か、又は白米壱升、其外七月・十二月は金一分づつ納むべき事
  但、有福の者は、其志に任せ謝礼指出し候儀、勝手たるべき事
  (カタカナをひらがなに置き換え、一部を意訳しました。

◎義務教育が「差し出す」で、女子が、「無学に生育いたし候はば、実に恥べき儀」あたりは、トホホです。
◎半年に学ぶべき事は次の表の通りです。

小学校課業表文字のコピー
(クリックで大)

 7才で入学ですから「俺たち夫婦は30になっても卒業できないね」と顔を見合わせました。
 どのような実態であったのか、資料がないのが残念です。
 改めて、維新を考えさせられています。

(2018.07.19.記)

報恩感謝之記額」(テレスコ太鼓と夜学)を書きました。
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野火止用水

Author:野火止用水
 歴史大好き爺です。

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