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30年前の玉川上水駅

30年前の玉川上水駅

「お電話した○○です・・・。
 お忙しいところ、誠に申し訳ありませんが、子どもの宿題で・・・」
玄関前に見知らぬお父さんと息子さん。

「住んで居る近くの駅が、30年前はどういう姿だったか、という題なんです」
 ご近所の方に伺ったんですが、どなたも皆なさん、新しく来られた方で・・・」
「隣のおばさんが、おじさんがいいって、教えてくれたんだ」
玉川上水駅近くのマンションにお住まいとのこと。

30年前というと1988年、そうだ、モノレールの出来る頃、と思い出して、物置から古いアルバムを取り出してきました。

玉川上水駅俯瞰640
(89年7月22日の玉川上水駅付近 クリックで大)

「まだ、モノレールができたていなくてね、鉄道と道路が平面で踏切があったんだ。
 写真は89.7.22.と日付が打たれているから、1年遅れだけど・・・」

「あ、僕の家からすぐのところだ。おじさん、スゴい」
「これは驚き、随分と変わったものですね」

ということから始まりました。

玉川上水駅前800
(当時の踏切 左側東大和市、右側立川市 クリックで大)

「今は、駅が高くなっているでしょう。だから、この姿は見えないよ。左側が東大和市で右側が立川市だよ」
「じゃー、道路はもぐっていなかったんだ」
「駅も、全然、違いますね」
「モノレールがなかったから」
「今はどうなってるんですか」

駐輪場800
(クリックで大)

「真ん中の黒っぽいところが道路の上で、前面のプラットホームが踏切になっていた場所だよ」
「カー、信じられない」
「線路の位置は変わらないんですね」
「少しは変わっているでしょうけど・・・」

玉川上水駅前東大和800
(東大和市方面からの玉川上水駅北口 クリックで大)

「駅へは、道路から、芋窪街道って云うんだけど、直接入ったんだよ。西武線だけだったんだ」
「じゃー、駅前のバス停やお店なんかなかったんだ」
「そう、駅広の用地は用意されていたけど」

DSC_4530640.jpg
(現在の玉川上水駅北側 クリックで大)

「モノレールの通っているところが、芋窪街道だよ。」(上ノ画像からは逆の位置から撮っています)
「自動車の通ってるところ?」
「うん、そう」

玉川上水駅前立川市800
(踏切からの立川市方面、玉川上水駅南口 クリックで大)

「立川の方で、道路は芋窪街道、森みたいになっているのが玉川上水だよ」
「ウワー、おじさん、まるっと違うね」

玉川上水駅南口のコピー
(現在の玉川上水駅南口 クリックで大)

「南口へ行ったら、最初に玉川上水の位置を確かめるといいよ。ここは動いていないからね」
「よくわかった。だけど、僕、これをスケッチにするんだよ。
 おじさん、写真貸してくれる」
「うん、大変だな、わかんなくなったら、また、おいで」
「子どもだけお願いして、失礼しようと思ったのですが、私の方が興味が湧いてきて・・・」

 いつの間にか2時間、話す方にも興奮が乗り移って、3人で楽しんでしまいました。
 今の学校って、オソロシい宿題を出すんですね。
 (当時は、デジタルが一般的ではなく、古い画像は印画を継ぎ足しました)

八幡神社の歴史を書きました

(2018.07.01.記)

小さなアジサイ

小さなアジサイ

 鉢植えにした小さなアジサイが花を付けました。

DSC_9580640.jpg
(クリックで大)

 昨年、母の日に息子夫婦が送ってくれたアジサイです。
 「花屋さんじゃないと無理かも・・・」
 とお隣の奥さんに心配されながらの一年でした。

DSC_9577640.jpg
(クリックで大)

 「このチビさん素敵・・・」
 「八重なんだ!」
 「可愛いって、このことね」
 「このまんま、大きくしたくないわね」
 「何言ってんの、よそ様の花なのに」
 「ご主人だって、おんなじですよね・・・」

 通りがかりの方々が声をかけて下さいます。
 「来年はもういくつか花数を増やしたいです」
 「楽しみにしてます」

DSC_9583640.jpg
(クリックで大)

 加齢と共に何事もスローモーになって、郷土の歴史調べもおっくうになってきました。
 「少しノンビリしたら」
 と言ってくれているようで、ホッとします。

 八幡神社について書いています

(2018.06.25.記)

夢の未来へ 東大和市狭山緑地雑木林の会

読み終わって、ズシーンと胸にきました。
一時も早く紹介したくて、書きます。

20周年記念表紙

「東大和市狭山緑地雑木林の会」の創立20周年を迎えての記念誌です。

最初のページを開くと
「20年の積み重ねを振り返り、次の10年のステップへ」として 

「わずかに残された自然を、生きものたちにとって心地よい、
そして訪れる人が安らげる場所にしたいという思いをこめて、
雑木林と向き合い、手を入れ、20年の歳月を過ごしてきました。
(一部省略)

自然に手を加えることで自然をより豊かにする
そんな答えのないパズルに、わたしたちは試行錯誤で取り組んできました。
会の創立20年を一里塚として、いま一度これまでの活動を振り返り、
新たな気持ちでステップアップしていきたいと考えます。


生きものたちがにぎわい、人の笑顔があふれる森をつくるため、
次の10年にバトンを受け渡していきたいと思います。
2018年5月
東大和市狭山緑地雑木林の会」

さりげなく強い意思が伝わります。

パート1

三つの章に分かれています。その最初です。

「なぜ、自然に手を加えるのか」
なぜ自然に手を加えるのか
(クリックで大)

「なぜ、自然に手を加えるのか」活動の基本が語られます。

 「自然を保護する仕事なのに、樹木を切ったり、草を刈ったりするのは矛盾するのでは
ないか、ということをよく言われます。(一部省略)

 かつて薪や落ち葉を利用していた時代には、日常的に間伐や草刈りが行われ、雑木林
は安定した状態を保っていました。しかしエネルギーをガスや電気に頼る時代になると
雑木林は放置され、荒れたヤブの状態になってしまいます。これを元の状態、人にも生き
ものにも心地よい白然に戻すため、当会では日々雑木林に手を入れているのです。」

 全文を紹介したいのですがブログのため、一部を省略しました。

読み進むと
「間伐と下草刈りで林を明るく」 「竹林を美しく保つために」
「炭焼きー試行錯誤の20年」   「外来種の侵略から緑地の生態系を守る」
「緑地と人のふれあい」
と会の活動の意義と内容が綴られます。一部の紹介です。

「間伐と下草刈りで林を明るく」
干ばつと下草刈り
(クリックで大)

「竹林を美しく保つために」
竹林
(クリックで大)

「炭焼きー試行錯誤の20年」
炭焼き
(クリックで大)

「外来種の侵略から緑地の生態系を守る」
外来種
(クリックで大)

パート21

二番目の章は森の移り変わりと活動の効果です。そして
貴重な「狭山緑地の植物リスト」「野鳥リスト」に引き込まれます。

「多様な環境」
多様な環境
(クリックで大)

「狭山緑地の演出家」
狭山緑地の演出家800
(クリックで大)

東大和市立郷土博物館長・坂本卓也氏の寄稿は狭山緑地の生態系の循環を具体的に示して、改めて目を開かされます。

「植物リスト」
植物リスト
(クリックで大)

「野鳥リスト」
野鳥リスト
(クリックで大)

パート31

第三章は10年後への夢の提言です

野鳥観察の第一人者・小川雅義氏、施設管理・栗原勝男氏、東大和市長・尾崎保夫氏、八幡神社宮司・押本博久氏の挨拶を初めとして会員のコメントが綴られます。そして、植物生態学の廣井敏男先生とのインタビューが輝きます。

廣井先生インタビュー
(クリックで大)

長くなりましたが、A4版64ページのあらましです。
図書館、博物館に置かれると思います。是非、直接、ご覧いただきたく、雰囲気だけでもお伝えしたく、ご案内しました。
雑木林の会の公式ブログは次の通りです。
http://blog.livedoor.jp/zoukibayashinokai/

この活動に魅せられ、心から拍手をおくります。
(2018.06.09.記)



水の神が木の神へ

水の神が木の神へ

 明治の初めの東大和市域の出来事です。
 当時の神社は神様と仏様が一緒にまつられることが多くありました。
 明治政府はその解消策をとります。
 明治元年(1868)6月5日に「韮山県支配所神仏混交(しんぶつこんこう)取調方」から村々へ通知が来ます。

 「今般 神仏混淆を取り調べるため、村へ出張する。
 村役人はもちろん神主、別当(神主が居ない神社は近くのお寺や修験が管理していました)は他出しないように通達する
 調べに行くのは
   赤坂氷川明神 深井隼人
   宅部村 内堀内匠 久米川村 当麻主馬
 である」(里正日誌第十巻p409)

 要するに神様と仏様を分けて神社は神様だけにするとの方針です。
 調べを受けた村々が対処した一例です。

DSC_3900400.jpg
高木神社

 高木村では「尉殿大権現」(じょうどのだいごんげん)をまつっていました。
 明治2年(1869) 尉殿大神(じょうどのおおみかみ)として、仏様の部分をはずしました。祭神は不明です。そして更に
 明治13年(1880)1月、「高木神社」(たかぎじんじゃ)と改めます。祭神を「高皇産霊神(たかむすびのかみ)と定めました。

 この間、村人達がどのように反応したのかは記録がなく、不明です。
 やむなく、推理をします。幸い「尉殿大権現」をまつる神社が西東京市にありました。現在は「尉殿神社」です。
 社殿の脇に石灯籠があって、神社の祭神について次のように説明しています。
 「本地の神体は仏教の水の守護神倶利伽羅不動明王(西東京市指定文化財第三十号「木彫倶利伽羅不動明王像」寶晃院蔵)」

慈眼寺倶利伽羅不動尊400

 金乗院慈眼寺(豊島区)の倶利伽羅不動尊(庚申塔) 
 クリックで大

 これで納得です。東大和市高木の尉殿大権現は奈良橋川と空堀川が交わり、狭山丘陵の裾野の段丘と武蔵野の原が接続、繋がる場所にあります。
 まさに、水と豊饒を祈り、除災を願うに相応しいところに位置します。

東大和市神社位置図黒移転後640
高木神社の位置 クリックで大

 今度は10年後です。高木神社と名を変えました。祭神は「高皇産霊神」になりました。
 古事記が云う「高木の神=高皇産霊神」です。神社の森は遙か遠方から望まれる高木で覆われていたそうで、村名にもなっています。
 同じようなことが隣接する狭山地域でもありました。明治14年(1881)に「天狗明神」を「狭山神社」に改めています。
 この頃、改称を必要とする何らかの動きがあったようです。

 いつの間にか、水の守護様が木の神様に変わっています。
 調べていて、産土様として親しんでいた村人達はこの動きをどのように受け入れたのか、とても気になります。
 明治って強引だったんですね!

 高木神社の歴史を書きました

  (2018.05.21.記)

仏足石へのお願い

 仏足石へのお願い

 「イヤー、足が痛い」
 「それ、ご覧なさい、少しずつやればいいのに。ご飯食べたら、出て行きっぱなしなんだから」
 「でもさ、とことんお願いしてきたんだ」

 市内の神社と寺院を再撮影しています。
 最近、お寺で目ざとく目に入るのがお釈迦様の足です。
 東大和市狭山の円乗院、中庭にまつられています。

DSC_87291640[1]
「仏足石」クリックで大

 右後の説明の碑に次のように刻まれています。
 熱砂の台地を仏陀は歩かれた 八十年の御生涯をただひたすらにお歩きなされた
 その足元から仏教の花々が次々と開きその果実を今も頂くわたしたちです
 仏陀をささえつづけた御足跡に御足に手を合わせずにはおられません
                                 大僧正正存

DSC_87381400[2]
天燈鬼像 クリックで大

 そして、見事な「天燈鬼像」(てんとうきぞう)が仏足石周辺とともにこっちまでお守りして下さるかのようで、安堵します。
 毎日1万歩を確保していたのが、昨年11月、膝を怪我してから3000歩になりました。
 「どうか、5000歩まで伸ばせるようにお力添え下さい」
 と全く自分勝手なお願いをします。

DSC_9178640.jpg
三光院の仏足石 クリックで大

 清水の三光院です。門を入ると斜め前の木陰に迎えて下さいます。

DSC_91792640.jpg
クリックで大

 季節の花が優しいです。
 小枝の揺れが「ゆっくりでいいんだよ」と云ってくれているようです。

 「そんな自分勝手な事ばっかし、お願いして、いいのかしら・・・」
 「だって、早く5000歩にしたいもんな」
 「どうかご無礼をお許し下さいって、家の仏様に謝っておくわ」

DSC_9176640.jpg
クリックで大

 「近くのカルミアが、応援しますよ、て、云ってくれたよ」
 「ご平楽もここまで来るとノーベル賞もんね」

 少しずつ歩数を増やしたいです。
 膝の怪我は怖いです。半年近くになるのに、両足が揃わないでバタバタですから。

 三光院観音堂 狭山三十三観音十六番札所を書きました。

  (2018.04.29.記)
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野火止用水

Author:野火止用水
 歴史大好き爺です。

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