青梅橋の今と明治15年の姿

 東大和市の南の玄関口が青梅橋です。西武鉄道拝島線・東大和市駅南口を降りると小さな広場があります。かっては、ここに素掘りの野火止用水が流れていました。現在は広場の下に暗渠になっています。そのまま少し左に進むと青梅街道になり、今では、全く目にする事が出来ませんが、横断歩道の辺りに、「青梅橋」が架かっていました。

青梅橋所在地

 青梅橋は野火止用水を渡る橋でした。東大和市と小平市の境界でもあります。東大和市を歩く基本点であり、歴史的に重要な意味を持っています。東大和市駅が高架となり、青梅街道が拡幅されて、すっかり景観が変わっているため、現在の状況から、かっての青梅橋と東大和市の関係を理解するのは難しくなっています。そこで、明治15年(1882)測量迅速図からその位置と周辺の関係を復元してみました。

迅速図青梅橋4

 青梅街道を初めとする広域道路が青梅橋に集中していました。しかも、■が民家で、僅か数軒しかなく、それ以外は畑が取り囲み、現在の東大和市駅周辺は、地図記号で灌木地、雑樹林と記されています。当時の写真を手にすることができなくて残念ですが、この状況から、様々に推測しながら、ここで起こったことを御案内したいと思います。


トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

まとめ【青梅橋の今と明治15年】

 東大和市の南の玄関口が青梅橋です。西武鉄道拝島線・東大和市駅南口を降りると小さな広場があります。

コメントの投稿

非公開コメント

sidetitleプロフィールsidetitle

野火止用水

Author:野火止用水
 歴史大好き爺です。

sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitle最新記事sidetitle
sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle最新トラックバックsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleLc.ツリーカテゴリーsidetitle
sidetitle検索フォームsidetitle
sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleリンクsidetitle
sidetitleブロとも申請フォームsidetitle

この人とブロともになる

sidetitleQRコードsidetitle
QR