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幕末、狐との共生

幕末、狐との共生

 急激に暑くなりました。加えて、加齢と共に複数の作業がサッサと出来なくなり、一方づいてしまい、こちらをすっかりご無沙汰してしまいました。

 村山貯水の湖底に沈んだ地域について調べています。明治45年(1912)5月、貯水池の建設が決まり、大正4年(1915)、湖底の集落が移転を開始、ほぼ大正年間に終了しました。その里に語られた伝承の一つです。

村山貯水池移転の状況3640
(クリックで大)

 暑いので、冬に場面を移します。下の堰堤に近い上宅部(かみやけべ)の出来事です。

 「きつねやたぬきなど、山にはたくさんいたので、きつねとりという商売の人がいました。 山ふところにあった原さんの家に親子のきつねが遊びにくるようになりました。冬の寒い日にはいろり端にきてあたっていくほどになりました。だんだん可愛くなった家の者はきつねとりに撃たれないかと心配していました。

 ある雪の日、いつものように、いろり端に座っているきつねをみたおばあさんは、「きつねとりがくるからいいかげんで身を引いておくれ」と頼みました。きつねはわかったのか雪の中を親子で出ていきました。それきり姿は見せませんでした。

 山里の部落に大火事がありました。三光院も焼けてしまったのですが、幸にも原さんの家は焼けずに残りました。おばあさんは「これはきっときつねが守っぞれたのだ。きつねのおかげじゃ」と言って喜びました。

 貯水池から清水に移転した時、いろりのあったところにきつねの大きな穴があったそうです。今でも家の裏に稲荷様を祀っておられます。」(『東大和のよもやまばなし』p179 きつねの恩返し)

 三光院が火災にあったのは弘化3年(1846)2月2日でした。ペリー来航に先立ち、イギリス船が琉球に、アメリカやフランス艦隊が浦賀や長崎に来て、大騒ぎになる年です。

 伝承とともに年表を整理していて、動物と共生するこの山里に、農兵設置、江戸湾防備の松材伐りだしなど、いよいよ荒波が押し寄せるな、「暑がってばかり居てはしょうがないぞ」と言い聞かせています。

(2019.07.31.記 文責・安島)

石川の里を書きました。">石川の里を書きました。

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昔話

数年前といっても7、8年くらいになるでしょうか。
北狭山谷でおじいさんにお会いしたことがあります。
呼び止められて「少し話を聞いていきませんか」といわれました。
そのお話は「姥捨てはこの辺りでもありましたよ」「ここが東京か埼玉、どちらに帰属するか」というような話だったと思います。
もう少しお聞きしたかったのですが・・・
キツネの話は面白いですね。
昔の話は興味深いですね。

sage55様

狭山丘陵周辺の姥捨ての話は凄く興味があります。
 複数の姥捨て話が比較できたら、どんなに良いだろうかと、夢を膨らませています。もう一度、その方に会えると良いですね

 村山貯水池の湖底に沈んだ里を調べて、東大和市の姥捨ての場所はほぼ、把握しました。
 若い頃、まだ、貯水池のフエンスが整備されていなかったので、訪ねた記憶を追いながら探しました。いずれ、書きたいと思います。
 動物との共生、味わってみたい気持ちがむくむく湧いてきます。
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野火止用水

Author:野火止用水
 歴史大好き爺です。

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