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教えて下さい、江戸時代最初の村

 天正18年(1590)、小田原合戦が終って、徳川家康が江戸に移って間もなくです。家康は直属の家臣を狭山丘陵周辺に派遣してきます。その頃のことを調べています。

 まあ、強引と云いましょうか、東大和市内の例では、これまで全く名を表していない村が急に表に出てきます。芋窪村、奈良橋村、高木村、後ヶ谷村(うしろがや)、清水村です。
 調べてみると、これまで営まれてきた古くからの集落を下の図のように集めて名前を付けたことが辿れます。村境に川とか山とか共通する区切りとなるものはありません。どうやって村境を区切ったのか迷います。

初期地頭・村切図640 (2)
   (クリックで大)

 この当時、玉川上水も野火止用水も開削されていません。ですから、大げさに言えば多摩川まで連なる原野の中に狭山丘陵がポッカリ浮かぶようにあって、その谷筋に営まれてきた古代・中世からの集落を、家臣に与える給与額になるように、一緒にして集めて区切った、と云う感じです。

 他の地域ではどうだったのか、どうかご教授下さるようにお願い致します。

 関連する記事として「村に地頭がやってきた」を書きました。

   (2019.01.25.記)

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野火止用水

Author:野火止用水
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