FC2ブログ

イノシシと人権

イノシシと人権
 
 「おじさん、江戸時代のお百姓さんの人権について、東大和市で実際に文書で残る資料はありませんか」
 高校の歴史の教師をしている近所の青年が干し柿をもって訪ねて来ました。
 「今は、病み上がりだから・・・」
 と逃げたいところですが、干し柿が大好きな連れ合いの顔が
 「そんな、冷たくしていいの」
 と云ってるようで
 「まあ、上がれよ」
 となりました。

 「縄で縛った、部屋に閉じ込めた、どこどこへ預けた・・・、はあるねー。
  もっと制度的なものなんだろ。」
 「はい。その通りで。体制に関したのをお願いします。」

 なかなか見つかりません。
 ひょっと思い出したのがイノシシの例です。

「恐れながら書付をもってお願い奉ります。
御鷹場内の次の村々の役人ども一同が申し上げ奉ります。
私共の村々は、狭山丘陵に接しています。そのためイノシシや鹿が
おびただしく出てきて、作物を荒し、大勢の百姓が難儀して居ります。
そこで、何にとぞ、御慈悲をもって例年の通り追い散らしを
御許し下さるようにお願い申し上げ奉ります。
お願いの通りお許し頂ければ、一同、有り難き仕合せに存じ奉ります。(意訳)

 文久三亥年(1863)正月
                  後ケ谷村 名主 平重郎
                  高木村  名主 金左衛門
                  奈良橋村 名主 藤九郎
                  蔵敷村  名主 杢左衛門
                  宅部村  名主 半兵衛
                  清水村  名主 藤右衛門

    御鷹場御預り御案内 村野源五右門様
    尾州様御陣屋御見回衆様」
 (武蔵国多摩郡後ヶ谷村杉本家文書(安政年間)中巻101p159)

 「耕作と鷹狩りと地元農民の対応・行動の制限、人権に結びつかないかな。
  今年はイノシシ年だから丁度いいじゃない」
 と云って、渡しました。

 「これって、人権かなー?」
 不服顔でしたが
 「でも、これって、明治維新直前ですよね。そんな時まで、
 鷹場だから、狩りの獲物を大事にするため、
 作物を荒らすものの退治が出来なかったんだ。農民の立場って何だったのか?
 うん、確かにここから問題を積み上げると人権問題に関係ある。
 やってみます。おじさん、有り難うございます。」

DSC_4450.jpg
    郷土博物館前のモニュメント「いのしし」

 帰った後で、考えさせられました。自由民権運動の論議の中では、具体的な人権問題はどのように議論し、整理されたのか、・・・気になり出しました。

 (2019.02.23.記)

  村山貯水池(多摩湖)買収対象地域の集落を書きました。

コメントの投稿

非公開コメント

自由って

人権運動とイノシシ・・・
これを結び付けるのは難しそうですが、言われてみるとそういう事も考えられるんですね。
農民にとって死活問題だという事を言えるようになって、近代に近づくにつれ考え方が少しは変わりつつあったのでしょうか。

sage55様

 江戸時代の村人達は、入札をして森の木の処分をしたり、冥加金を支払って御用林の下草刈りの実利を得たり、相当に実力を付けています。
 
 一方で、尾州徳川家の殿様の鷹狩りの獲物のために、シシは追い払うだけで、作物の被害を守らなければならない、などの矛盾がありました。

 この辺りから、明治初期の素朴な人権の意識が目覚めたのかな、と想像しています。
sidetitleプロフィールsidetitle

野火止用水

Author:野火止用水
 歴史大好き爺です。

sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitle最新記事sidetitle
sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle最新トラックバックsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleLc.ツリーカテゴリーsidetitle
sidetitle検索フォームsidetitle
sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleリンクsidetitle
sidetitleブロとも申請フォームsidetitle

この人とブロともになる

sidetitleQRコードsidetitle
QR