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とってもついて行けない明治の学校

とってもついて行けない明治の学校

 ビックリしました。明治の小学校です。
 明治6年(1873)2月、神奈川県令大江卓から当時の蔵敷村戸長のもとへ「学制発布に付き学校規則」が送られてきました。
 東大和市蔵敷の内野家に伝わる「里正日誌」13巻に収録(p58~62)されています。

第六則
一 小児七歳に相成候はば、男女の別なく、其近傍の学舎へ差出すべき事
 但、七歳に相成候とも、病気其外止を得ざる状情これあり、
 小学舎へ差出しがたき分は、其旨 巨細 戸長へ届出べし
第七則
一 女子の儀も、当今の時勢に対し、無学に生育いたし候はば、
 実に恥べき儀に付、男児同様小学所へ差出べき事
第八則
一 学課を五級に分け、一級毎に授業六ヶ月を限る、六ヶ月に至り、
 試験の上昇進すべし、
 若し此月数卒業に及ばざるものは、尚六ヶ月間教授すべき事
 (中略)
第十五則
一 父母貧寒にして家業世話しく、又は勤仕等にて昼間稽古成がたき者は、夜学致べき事
第十六則
一 月謝は一ヶ月金壱朱か、又は白米壱升、其外七月・十二月は金一分づつ納むべき事
  但、有福の者は、其志に任せ謝礼指出し候儀、勝手たるべき事
  (カタカナをひらがなに置き換え、一部を意訳しました。

◎義務教育が「差し出す」で、女子が、「無学に生育いたし候はば、実に恥べき儀」あたりは、トホホです。
◎半年に学ぶべき事は次の表の通りです。

小学校課業表文字のコピー
(クリックで大)

 7才で入学ですから「俺たち夫婦は30になっても卒業できないね」と顔を見合わせました。
 どのような実態であったのか、資料がないのが残念です。
 改めて、維新を考えさせられています。

(2018.07.19.記)

報恩感謝之記額」(テレスコ太鼓と夜学)を書きました。

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明治の学校

明治5年の学制、初等教育の基本方針から急速に小学校が設置されてい、短時間に全国に。この記録からも驚くほどのスピード感が伝わりますね。Junpei

Junpei様

 半ば強引な方法で、地元の人びとは苦労しました。寄付を募られ、現金のない農民は草鞋をつくって、応じたとの話が伝わります。
 就学率は当初、30%に満たなかったとされます。それにしても、学ぶことの内容には驚きです。
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野火止用水

Author:野火止用水
 歴史大好き爺です。

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