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力石(ちからいし)

 たまには、気分を変えてと、東大和市市民体育館の前を通りました。入り口の横に、モニュメント・力石が置かれています。
 そのヒョウキンな姿に、子ども達の遊び場になっています。(カメラを持って行かなかったので、2月の写真です)

力石1

 「オモシロイ オジサン」
 「なんか重そうだけど、くれるのかな・・・」
  股くぐりには良いのですが、どうも、ピンとこないようです。

力石2
(クリックで大)

 「昔は、いまとちがって非常に楽しみが少なかったので、仲間が集まっては、力くらべをするのが楽しみの一つになっていました。
 東大和市内の神社の境内などには、たいてい「力石」と言われる石が置いてあり、若者たちは、汗と泥にまみれ、競ってこの石を持ち上げました。
 力石は、だいたい、20貫ぐらい(75キログラム)が普通でしたが、中には50貫(187キログラム)もある石があり、これを持ち上げれば、それこそ村中の話題をさらったものでした。」-東大和のよもやまばなしから-

 平成2年3月27日設置、高さ180×幅160×奥行き100センチメートル、と「作品紹介」があります。

 子ども達の相手をして、読んで聞かせても通用しません。
 今の子どもは違うんだ。「俵かつぎ」や「力石」じゃなくて、ゲームなら目を輝かせる。
 「俵かつぎ」は現在の運動会でも行われるけど、力石は完全に過去のものとなったんだ。
 当たり前のことなのに、ちょっと、淋しくなって『東大和のよもやまばなし』を読み返しました。

 「若い衆が四、五人寄ると誰が言い出したともなく、石の担ぎっこをする話がまとまって、一日の労働が終ると暗い夜道を神社の境内へと急ぎます。鼻をつままれてもわからないほどのまっくら闇でも、勝手知った村の道ですから足どりも軽やかです。家々からはトントンカラリと働き者の女衆の機織る音が聞えています。

 その頃はどこでも力試しが盛んでした。神社の境内などには大抵"力石"といわれる恰好の石が置いてありました。米一俵(六十キログラム)ぐらいは担げなければ男じゃない、といわれた時代でしたから、力石は十八貫から二十貫位(六七~七○キログラム)が普通でした。石の目方は秤で測って正確に決めることもありましたが、大抵はみんなで持上げてみて、おおよその見当できめました。中には三割ぐらい多目に誇大表示して、気をよくしていた向もあるようです。

 腕に自慢の男達が「われこそは村一番の力持」とばかり、競って挑戦を試みます。中腰になって持上げた石を、一旦膝の上に乗せ、かけ声諸共に渾身の力をふり絞って一気に肩に担ぎ上げるのです。同時に腰に力を入れ足をふんばって立上ります。そんな時、大向うから黄色い声援でもとんでくれば、それこそ思いがけないほどの馬鹿力がでるのでしょうが、残念ながら女性の見物人は滅多になかったようです。そのせいか、力尽きて肩まで担ぎきれずに放り落す者、はずみで肩越しに後へ落してしまう者、なかなか定石通りにはいきません。

 ある時、久米から働きに来ていたおさんどんの娘が、その場に居合せました。男達が口々に重い重いと言っていると、件の娘、石をひょいと持上げ「なるほど、こりゃ重い」といいながら、そっと下に置きました。これを見た力自慢の面々も、さすがに度胆を抜かれたという事です。

 力石は、狭山神社、熊野神社、豊鹿島神社などの境内にありました。そのほか大橋の地蔵前や、芋窪の観音堂にも置いてありました。今は湖底に眠る内堀部落でも、非常小屋の脇に二つ、三つ置かれていて、若い衆が集っては強力を競い合ったものでした。

 山口観音の境内に、五十貫(一八七キログラム)の力石があります。天保十二年に福生の人がこれを持上げ、奉納した旨、石に刻まれています。大力を自負する人達が、狭山丘陵を越えて山口観音まで、わざわざわざこの石を担ぎに行ったものでした。芋窪部落にこれを持上げた力持が二、三人いたということです。」(一部省略 p213~214)

力石3

 蔵敷の熊野神社には現在も奉納されています。狭山神社には石垣に力石が埋め込まれています。
 どなたか読んで下さればと書きました。ゲームにしてとてつもない世界につなげたら喜ぶでしょうね。
 (東大和のよもやまばなし モニュメント・10 2015.07.26.記)


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狭山神社の力石

昨年秋に市長さんが話していました。狭山神社の力石がどこかに
ある筈と。2度ほど神社を通る機会があり、石垣中心にあれこれ探して見たが、やはり分からずじまいでした。本当にどこかに紛れ込んでいるのでしょうか。

東大和y様

 ここで種明かしをすると、神様に叱られそうです!!
 狭山神社は、様々な話題にとんでいます。いつか、それらを含め、ゆっくりご案内します。それまで楽しみにして下さい。

力石

力石の読み方は「ちからいし」でいいのでしょうか?
以前テレビの旅番組か何かで見たことがあるような記憶があります。
昔の人たちはこんなことをして楽しんでいたのですね。
考えたら、私の小さい頃の遊びと、今の遊びとずいぶん違っていますね。
子どもの頃は従妹や近所の子などと暗くなるまで外で鬼ごっこや石蹴りなどして遊んでいましたが、力石と同じようなものかもしれません。

sage55様

 暑い最中、お訪ね頂き有り難うございます。「ちからいし」と読みます。早速タイトルを直しました。
 集団での遊びが少なくなり、仲間付き合いが電子化されて、一つの文化をつくるのでしょうが、動物としての人間をどこかで取り戻さないと、と心配になって書きました。
 昭和の初めにもイジメがありましたが、とことん追い込まれる前に、誰かが動いてカバーし合いました。遊び仲間がいつも目に入る位置に居たからだと思います。「鬼ごっこや石蹴りなど」過去のものとしたくないです。

力石

楽しいお話でした(^-^)

読ませて頂いて、今の重量挙げの場面を思い出しますが、石では
つかみにくいので、持ち上げるのは大変だったでしょうね!

最近の子供たちは重たいものが持てなくなっているのではないか・・
心配になりますね。

☆さっちゃん☆様

 神代の時代からの力比べ、いつの時代にも特徴が出ますが、大体が祭りや仲間ではやす、余興に関係しています。
 今の時代、競技は盛んですが、余興が少なくなって淋しいです。子どもにその世界が少なくなっているのは気になりますね。
 
 せめて、ワーワー言いながら飲むビールを味わいましょう!

いくら若い力持ちといっても

きっと、腰痛持ちも多かったのでしょうね。それとも、力比べの前に、しかるべき人が腰を痛めないコツを伝授したのでしょうか。今の世、整形外科が満員 と聞きますので。そう言えば、昔は「あんまさん」がもっと多かったのでは。

Mumbler様

 圧倒的に腰痛と眼病が多かったようです。農作と織物で腰と目の酷使が加齢と共に出たようで、子どもの頃に嘆きをよく聞きました。
 民間療法も流行ったようで、「憑きものオロシ」や「キトウ(祈祷)」などが語られています。
 「あんまさん」は親孝行の代名詞で、職業としても成り立ったと聞きました。
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野火止用水

Author:野火止用水
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