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水の神が木の神へ

水の神が木の神へ

 明治の初めの東大和市域の出来事です。
 当時の神社は神様と仏様が一緒にまつられることが多くありました。
 明治政府はその解消策をとります。
 明治元年(1868)6月5日に「韮山県支配所神仏混交(しんぶつこんこう)取調方」から村々へ通知が来ます。

 「今般 神仏混淆を取り調べるため、村へ出張する。
 村役人はもちろん神主、別当(神主が居ない神社は近くのお寺や修験が管理していました)は他出しないように通達する
 調べに行くのは
   赤坂氷川明神 深井隼人
   宅部村 内堀内匠 久米川村 当麻主馬
 である」(里正日誌第十巻p409)

 要するに神様と仏様を分けて神社は神様だけにするとの方針です。
 調べを受けた村々が対処した一例です。

DSC_3900400.jpg
高木神社

 高木村では「尉殿大権現」(じょうどのだいごんげん)をまつっていました。
 明治2年(1869) 尉殿大神(じょうどのおおみかみ)として、仏様の部分をはずしました。祭神は不明です。そして更に
 明治13年(1880)1月、「高木神社」(たかぎじんじゃ)と改めます。祭神を「高皇産霊神(たかむすびのかみ)と定めました。

 この間、村人達がどのように反応したのかは記録がなく、不明です。
 やむなく、推理をします。幸い「尉殿大権現」をまつる神社が西東京市にありました。現在は「尉殿神社」です。
 社殿の脇に石灯籠があって、神社の祭神について次のように説明しています。
 「本地の神体は仏教の水の守護神倶利伽羅不動明王(西東京市指定文化財第三十号「木彫倶利伽羅不動明王像」寶晃院蔵)」

慈眼寺倶利伽羅不動尊400

 金乗院慈眼寺(豊島区)の倶利伽羅不動尊(庚申塔) 
 クリックで大

 これで納得です。東大和市高木の尉殿大権現は奈良橋川と空堀川が交わり、狭山丘陵の裾野の段丘と武蔵野の原が接続、繋がる場所にあります。
 まさに、水と豊饒を祈り、除災を願うに相応しいところに位置します。

東大和市神社位置図黒移転後640
高木神社の位置 クリックで大

 今度は10年後です。高木神社と名を変えました。祭神は「高皇産霊神」になりました。
 古事記が云う「高木の神=高皇産霊神」です。神社の森は遙か遠方から望まれる高木で覆われていたそうで、村名にもなっています。
 同じようなことが隣接する狭山地域でもありました。明治14年(1881)に「天狗明神」を「狭山神社」に改めています。
 この頃、改称を必要とする何らかの動きがあったようです。

 いつの間にか、水の守護様が木の神様に変わっています。
 調べていて、産土様として親しんでいた村人達はこの動きをどのように受け入れたのか、とても気になります。
 明治って強引だったんですね!

 高木神社の歴史を書きました

  (2018.05.21.記)
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野火止用水

Author:野火止用水
 歴史大好き爺です。

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