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掃除の合間

 部屋の掃除と窓ふきからヤットコさ開放されて、次の片付けの命令が出ないうちに
 「行ってきます」

掃除の合間1
(クリックで大)

 玉川上水の小径に入ると、いつもの人なつっこい鳩に出会えて
「ホイホイ、今年もあと二日。元気でな!」

掃除の合間2
(クリックで大)

 去年の実生の小枝が、新芽を抱かえながらまだ紅葉を付けていて
 「ホイホイ、お前様も丈夫にな!」

(クリックで大)
 「ナニ、独り言、言ってんだ。
 もぐもぐ、呟いているから、何だろうと来てみりゃ、お前だろ。
 いよいよ、認知症もここまで進んだか、・・・」
 後から近づいてきたウオーク仲間の同級生がちょっかい。

 「奥さんとしか話ができないお前と一緒にするな。
 こっちは、何にだって、話しがあるんだ」

 日韓の今後、18才投票権、市段階の人口減・・・
 話は尽きず、千手橋で南側の小径へ回って戻ります。

掃除の合間4

 「それにしても、押し詰まったな。来年はいろいろ変わるな。
 お前も捨てられないように性根(しょうね)を据えろよ」
 「お前こそ、奧さんにすがってろ」
 勝手に云い合って、玉川上水駅前でバイバイ。

掃除の合間5

 「そうだ、ヨーカドーの南側の団地のヒマラヤスギの実はどうなった?」
 確かめに、南公園から団地との間の通路にまわりました。

掃除の合間6
(クリックで大)

 見上げると、青い実の時と変わらず、二つ並んで松ぼっくりになっていました。
 この後はどうなるのでしょう?
 この木の生命力は強いですね。(2015.12.29.記)

 秋の気配へ

おのぼりさん

 「たまには出てこない!」
 息子夫婦の呼びかけで、山手線・恵比寿駅に降りました。

 「ガーデンプレイス方面に行きたいのですが・・・?」
 「この先の動く通路でそのまま行けます」

恵比寿1
(クリックで大)

 若い駅員さんの指さす方を見れば、「スカイウォーク」。
 「そうだった・・・」
 と一度に懐かしくなって急ぎます。
 何人もの若者に追い抜かれながら

 「邪魔にならない・・・?」
 「年寄りだから、このまま運んで貰おうよ」
 と手すりに手を置いてゆったり構えます。

恵比寿2
(クリックで大)

 外に出ると、丁度、暮色にビルの明かりが映え始めて、気分を和ませます。

恵比寿3


 センター広場には、ヱビスビールを片手の若者が群れて、声高に談笑。

 「凄い人出ね」
 「みんな楽しそうだね」
 「こういうの、久しぶりだわ」
 「うちの方とは全然違うね」
 「狭山丘陵・・・? 人口が減ること・・・?」

恵比寿4
(クリックで大)

 少し離れるとがらりと雰囲気が変わり、落ち着いた光の饗宴、ほっとします。

恵比寿5
(クリックで大)

 「ちょっと時間があるから、広場に降りてみようか」
 「手すりつかまって行くから、先に、ゆっくり下ってよ」

恵比寿6
(クリックで大)

 「わー、キレイ。これが、今年のバカラ・シャンデリア!」
 「スゴイね」
 「子どもの頃とは全然違う。前回来た時よりも豪華・・・」
 「いつの間にか、うちらも、おのぼりさんになってんだね」

 久しぶりで集まった家族の食事
 「お賑やかで・・・」「あのシャンデリアは・・・」
 と料理を運んでくる度にボーイさんも話に加わり、おのぼりさん気分をたっぷり味わいました。
 (2015.12.20.撮影 25.記)

くずっぱ

 12月、狭山丘陵の周辺では、すっかり紅葉が進み、雑木林は一面に落ち葉が敷き詰められます。
 小径をかさこそとひそかな音をたてて歩み、幸せなひとときに浸ります。

くずっぱ1
(クリックで大)

 この落ち葉を、東大和の先人は「くずっぱ」と呼び、代えがたい生活の糧でした。東大和のよもやま話は静かに語ります。

 「貯水池の周囲の山には、くぬぎ、なら、松などの大木が亭々としていて、秋になると大量の落葉が地面を埋めつくします。
 現在では公の土地になっていて、みだりに用地内に入る事は禁じられていますが、貯水池が出来る前までは個人持の山でした。地元の人達は十二月から三月にかけて、それぞれ自家の山へ"くずっぱ"(落葉)を掃きに行ったものでした。山のくずっぱは土質の関係で葉に厚みがあって質がよく、肥料としても燃料としても、砂川や南街辺りのものとは格段の違いがありました。殊に落ちて間がない葉はあくが強いのでいい肥料になりました。雨や雪にたたかれているうちに葉に含まれている養分が土中に逃げてしまうので、十二月のうちに出来るだけ多く集めたものでした。

くずっぱ2
(クリックで大)
 現在ではフエンスのところどころに門扉が設けられ
特別に出入りが許可される場合があります。

 落葉をなめたようにきれいに掃いて集め、八本骨の大きな籠(かご)に爪も立たないほどぎゅうぎゅうと、つめるだけつめると百キログラムから百二十キログラムの重さになりました。

くずっぱ
(クリックで大)

 持帰った落葉の大半は、農業に欠かせない堆肥(たいひ)に使われました。下肥(しもごい)をかけて自然に腐らせるのですが、そのほか豚小屋に敷きつめておき、豚が糞(ふん)と一緒にこねて踏みつけるのを利用する即成の方法もありました。また、冬の間はいろりでくずっぱを燃して暖をとったものでした。中でも松葉は油分が多く火もちもよかったのですが、所詮は木の葉ですから四六時中つきっきりでくべていなければなりませんでした。

 当時この辺りでは、さつまいもをたくさん栽培して売りに行ったり、自家用としても主食といっていいほど、よく食べたものです。一度に一俵(五十キログラム)ぐらいづつ大釜で茄(ゆ)でるのですが、燃料はくずっぱと乾燥した下草(したくさ)でした。いろりやかまどの灰は絶好の肥料になるので、一石二鳥をねらったのでしよう。そのほか、三十センチの厚みに踏みこんだ落葉に、ほろほろになった前年の分を混ぜて"さつま床"を作るなど、くずっぱは最大限に活かされ、利用されたのです。」((p161~162 後略)

 今でも、篤農家は落ち「くずっぱ」を集めて有機肥料にしています。(2015.12.19.記)

考えさせられる展示

人口急増とその後の姿

 東大和市役所3階に「市政情報コーナー」があります。

東大和の団地展1

 法令や市に関する資料が置かれていて、市民が自由に利用できる場所です。通路に面しているため、ちょっと戸惑う感じもしますがオープンです。そこに展示されている今月の特集「東大和の団地」を見て考えさせられました。

東大和の団地展2

 各団地の姿が要領よくまとめられています。そして、彩られたグラフが目を引きます。

 「・・・昭和30年代から50年代、いわゆる「高度経済成長」といわれる時期にかけて著しく人口が増加しています。とりわけ、昭和30年代・40年代には、市内に大規模な都営住宅や公社住宅などの「団地」がいくつも建設されました。
 これは首都圏のベットタウンと呼ばれる近郊の都市全般に見られることではありますが、農村から住宅都市へと東大和市の姿を大きく変化させた大きな出来事でした。・・・」
と解説して、

東大和の団地展3
(クリックで大)

 図のような、美しい「東大和市の人口の推移」のグラフが添えられています。
 つくりが綺麗な上に団地の建設と人口増の関係が一度に理解できて、引き込まれました。
 終戦後の昭和20年代人口11,000人台が昭和30年代初期・団地建設期に14.000人台となり、相次ぐ集合団地建設により、昭和47年には51.909人となりました。
 その後も新しい集合団地建設により、現在、85000人台となっています。この姿がよくわかります。

 同時に、この続きはどうなるのか愕然としました。このたび発表された「東大和市人口ビジョン」では、いくつかの手法により平成30年代中頃をピークに人口減となることが示されているからです。

 人口増も人口減も都心から35キロ圏では大きく東京の動きに左右される傾向が強いことを経験してきました。
 やがて来る人口減、人口構成要素の段階的移行=厳しい少子高齢化、その時の市民生活、市のあり方・・・気になります。

 廃バスを利用して保育園を! 
 不足する教室に二部授業を! 
 トタン屋根のプレハブ校舎に木の枝で覆いを!
 ・・・
 緊急対策に追われましたが、それでも、将来に向かっての活気が支えになりました。

 今後は? 緊急では済まない複雑な対策の難しさをどのように克服するのか、高齢者の為すべき事はなにか、を考えさせられ、来年1月の特集を楽しみにしています。
(2015.12.13.記)
 
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野火止用水

Author:野火止用水
 歴史大好き爺です。

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