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くぐり損ねた暖簾

暖簾1

 ようよう、昼間の暑さから解放されて、夕刻は出かけられるようになりました。
 蝉の声がしきりです。でも、もう盛夏とは違います。

暖簾2
〈クリックで大〉

 モノレールの窓明かりが、夕刻の光と混じり合って
 「職場から解放されて、みんな帰ってくる時間ね」
 「家路がピッタリってとこだね」
 「この時間は、年寄りだってホッとするもの」
 
暖簾3

 わずかの涼風が帰宅を急ぐ若者の足もとに、和みを感じさせます。
見回せば、北側の店明かりが招いているようで、つられるように回り道しました。
 
暖簾4
(クリックで大)

 「このまま帰るの?」
 「一串、二串、寄って行こうか」
 「おごりよね!!」
 「ホイ、ホイ」
 「今晩の支度、助かった!
  でも、ちょっと待ってよ。残念、出がけに仕込んできたんだわ」
 「ウワー。じゃ、串焼き買って帰ろう」

暖簾5

 ということで、店内へはお預け。
 焼き鳥はもちろん、蟹シュウマイ、岩ガキ、シーザース・サラダまで揃っていて
 「明日にでもこようや」
 「きっとね」
 手元に焼きたての串がホカホカして、幸せでした。

暖簾6
(クリックで大)

 すっかり暮れた路を帰宅すると、どうしても、駅の夕景の綺麗だったのが気になります。
 「二~三枚撮してすぐ帰ってくるから」
 「冷めたって、知らないから」

 大急ぎで自転車で戻って、駅広を撮していると
 「アレッー、なに撮しているんですか」
 とネット仲間。暖簾をさすと
 「ここは美味いんですよね。日本酒も・・・」
 とケシカケます。

 23日の土曜のことです。明日、出かけるはずが、三日経ってしまいました。
 今日は小雨、せめて、雰囲気だけでもと、記します。(2015.08.25.記)
 

多摩湖梨

 新聞の折り込みにこの広告が入りました。
 
多摩湖梨
(クリックで大)
 
 4~5年年ほど前、市の特産として何を売り出すかの議論が戦わされました。
 その時、
 「東大和市として誇れるものに、多摩湖梨があるじゃないか」
 「そうだ、そうだ」
 「いや、まだ、育て中だ」
 と意見が分かれていました。

 それが、生産力が高まり、品質の改良が進んで、宅配まで可能となりました。
 生産される方々の努力に脱帽です。

 確かに美味しいです!!
 みずみずしいもの、甘いもの、さくさくもの、何でもござれです。
 東大和市民、一消費者として、嬉しくなって、ここに報告します。
   (2015.08.21.記)
 

父の日の焼酎その後

 6月15日に、父の日を一週間前に間違えた事を書きました。その報告です。
 翌週の父の日には、いつもの通り、息子からチーズ、娘から焼酎が届きました。
 
歌垣1

 その宵からチーズは早速、盛り合わせになって、老夫婦のわずかな食前酒を盛り上げました。
 さて、焼酎です。さっそく壺の蓋を開けようとしました。

 「いいわね。それ、一人で飲むの・・・」
 「ドンとしてるな。量は多いね。開けたら暫く飲み続けるようだね」
 「ひしゃくで掬って、オンザロック、なんて粋ね」
 「うん、早くやってみたいね」
 「でもさ、なんか一人じゃカッコつかないなー」

 ということで
 「じゃー、娘がきたときにしよう」
 「それがいいわ。それ、それ・・・」

 と、一ヶ月余を待って、昨夜を迎えました。娘が来るというのです。

 「俺、刺身、見繕ってくるから」
 「イカを外さないでよ、枝豆もね。天ぷらは揚げるから」

 と久しぶりで張り切って準備をしました。箱から壺を出します。

歌垣2

 グラスは何がいいか、などとガヤガヤしていると

 「こういうの、お兄ちゃんが居ると、なんか得意になって解説してくれて、賑やかだろうにね」
 と連れ合い。
 「・・・」
 「・・・」

 「それもそうね」
 と娘。 
 「じゃ、今夜はこの前送ってくれたウイスキーが美味いから、そっちにしとくか」
 「そうね、今度、お兄ちゃん達を呼んで、みんなで開けようよ」

 早速、電話すると、
 「賛成、賛成!その時はつまみ持って行くから。その時まで開けないで」

 ということで、開けるのは次の機会になりました。一晩過ぎて考えると、連れ合いの家族を揃わせる口実とも思えます。
 「つれづれだより東大和」さん、こういう状況です。
    (2015.08.09.記)
 

モニュメント・桜

 「これ何・・・?」
 「お地蔵さんの代わりでしょう・・・?」
 「市が置いたらしいよ」
 「だって、市って公共団体でしょう。宗教に関するものは置けないはずじゃない!」

モニュメント桜1
 (クリックで大)

 確かに道路の交差する三角地。近寄ってみると、

モニュメント桜2

 お地蔵さんではなくて、モニュメント。作品紹介として

 「村山団地から東大和市駅を抜けて小平へ向かう旧青梅街道は、かつて江戸街道とよばれた美しい桜並木になっていました。
 この桜並木は明治十五、六年頃に植えられ、小学校の遠足の場所でもありました。また、並木道を使って運動会が行われたりしたそうです。
 この見事な桜並木も昭和二十年四月二十四日の空襲で付近がほとんど壊滅状態になり、大部分がなくなってしまいました。
市では、桜並木を復活させるため、この道路の街路樹に桜を植え、道路の愛称も桜街道としました。」

 と説明されています。
モニュメント桜3

 「よくよく見れば、桜の花びらじゃない」
 「ホントだ」

 ようよう、合点がいったようで、そばに居る者としても安心しました。
 愛称・桜街道を象徴するモニュメントですが、この道路、「旧青梅街道」で、江戸時代の広域交通路でした。
 青梅・成木から「御用」の旗印を立てて、ここを通り、小川村(小平市)で中継ぎをして、江戸に石灰を運んだ道でした。
 青梅橋で一休みした御岳参りの旅人が、ここに来て、真っ正面に見る富士を菅笠をあげて感嘆した道でした。

モニュメント桜4
(クリックで大)
 
 昭和に入ると、東京ガス電気工業(株)、日立航空機工業(株)の航空機エンジン製造工場が建設され、爆撃を受けて焼け野原になりました。
 モニュメントの前にある桜街道から手前が工場地域でした。
 正面を斜めに入る道は、その両脇に社宅が建ち並び、工場に通う通勤道路で富士見通りと呼ばれました。幸いに爆撃から免れました。
 左側の住宅のところには青年学校が建てられ、全国から青少年が徴用されました。市の最初の中学校でもありました。
 右側を通る道の先は、米軍大和基地でグラウンドになっていました。
 
 モニュメントの後ろ姿は、その経過を見つめて、じっくり語りたいかのようです。

モニュメント桜5
(クリックで大)

 モニュメント・桜 場所:東大和市桜が丘 設置日:平成4年1月29日
 材質:小松石 サイズ:H2300×W1200×D1000センチメートル 
  (2015.08.03.記)
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野火止用水

Author:野火止用水
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