いい明日が来ますように

 東大和市のウオーキングマップをブログでどのように紹介するかに取りかかり、時間をとられています。これ以上体重を増やしてはいけないと、本日分の1万歩をめざして、いつもの道を歩きました。

緑の桜

 満開であった桜は淡い緑に変わりました。
 サクランボも小さな青い実を付けています。
 望遠レンズを持って行かなかったので諦め、
 「改めて、撮りに来るから」と約束。

南公園の鴨

 都立東大和南公園の広場に何やら動くもの。

南公園の鴨2

 まさかここで、玉川上水の鴨がデートとは!!
 ナンデ、ナンデと気になります。

キンラン

 玉川上水の歩道に入ると
 「キンランが咲いていますよ」
 と見知らぬ方がニコニコと声をかけて下さる。
 有り難や、一年ぶりに再会と、のぞき込むと
 「葉が虫に食われて気の毒ですね。
 せっかく保護して下さっているのに・・・」
 「でも、咲いてくれたのは何よりです。」

緑の玉川上水

 来年も元気でな、と歩み始めれば、午後3時過ぎの心地よいそよ風、生き返りました。

玉川上水駅広ハナミズキ

 帰路、玉川上水駅広では、ハナミズキが色とりどり。
 帰宅しての万歩計は、10969歩、地方選挙の開票日、いい明日が来ますように!!
(2015.04.26.記)

八幡神社(奈良橋 東やまと20景・13)

八幡神社の森
八幡神社の森

 東大和市奈良橋一丁目に鎮座する八幡神社は、かっての奈良橋村の鎮守です。青梅街道から表参道が続き、地元ではこの道を鎌倉街道と呼んでいました。
奈良橋村絵図
(クリックで大)

 年代が不明なのが残念ですが江戸時代の村絵図です。蔵敷村の分離前であることから、正徳年間(1711~15)以前の姿であることが想定できます。伝鎌倉街道を通ずる狭山丘陵南麓の谷をはさんで八幡神社と雲性寺が並びます。

八幡宮表参道2

 かっては村山貯水池に沈んだ地域を通り所沢方面に続きました。現在は村山貯水池の周囲道路・多摩湖自転車道に達します。

八幡神社第一鳥居

 参道の階段を上ると第一の鳥居(昭和43年・1968 建造)があり、広大な敷地が続きます。周辺には縄文時代中期の集落がありました。

八幡神社第二鳥居

 第二の鳥居と社殿(昭和10年・1935 建造)

八幡神社本殿
(クリックで大)
 
 八幡神社社殿(昭和7年・1932 改築)です。東やまと20景に選ばれています。
 
八幡神社社殿内

 八幡神社は中世からの伝承を伝えますが、創建年代は明らかではありません。地誌は次のように記します。

新編武藏風土記稿

 除地六段、村の西北方にあり、上屋二間に三間、内に五尺の社を置り、拝殿は二間半に三間、前に鳥居をたつ、

狭山之栞

 村里の惣鎭守なれど勧請年紀不詳。祭神は誉田和氣尊、応神天皇也。
 祭典毎歳八月十五日。
 別当本山修験八幡山覚寳院は聖護院旧宮末小田原玉龍坊配下府中門善坊霞下也。
 境内六反歩及び山王分六反歩除地なりしが維新の際奉還す。元祖諸宝院より十一世承盛の世押本肇と改名復飾して神官となる。同氏地内に廻り四尺余の枳棋(けんぽなし)の木あり。尚八幡の社木松廻り八尺。注連張杉二本廻り各一丈。

東大和市史資料編8

 社伝によれば、その昔、戦いによって宮が壊れようとした時に、武士がこの森に逃げて来て露営しようと辺りを見渡すと、暗い中に宮があったので、その中で眠ることにした。そうすると、夢の中に「吾は八幡の神なり。」と八幡神が現れて、当社によく宿ってくれたと述べてから、宮が破損しようとしているので村人に建て替えることを知らせてほしいと言った。そこで武士は夢からさめて地領に行き、その旨を伝えたという。(中略)

 主祭神として誉田和気尊(ほんだわけのみこと)を祀り、その他の祭神に応神天皇・大山祇命(おおやまつみのみこと)・日月大神(にちげつのおおかみ)・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)・火産日神(ほむすびのみこと)・建御名方命(たけみなかたのみこと)を祀る。
 末社には富士浅間社・神明社・武内社・御嶽社・大六天社を祀る。

八幡神社大杉根株

 本殿右側にかって参道にあった大杉の根が保存されています。

八幡神社大杉根株2
(クリックで大)
大杉の根株
説明版に
「この根株は八幡神社の階段下の参道入口にあった二本の大杉の内、向かって右側の根株であります。
 樹齢は約二百七十年位と推定され、当時の住民が祈願成就のため植樹されたものと思考されます。」
とあります。

 社伝に「元禄二年(1689)九月、旧領主石川太郎右衛門並岸隼人の尽力により拝殿が建てられ」とあり、それから間もなく植樹されたことも推定されます。石川太郎右衛門は1590年、徳川家康が関東に入府して間もなく、奈良橋村に配属された地頭の一族です。岸家は名主を務めていました。
 境内末社の多さも独特で、次に記します。(2015.04.23.記)

東やまと20景・13 八幡神社へ戻る

八幡神社(東やまと20景・13)

20景雲性寺位置図

 八幡神社は奈良橋一丁目にあります。青梅街道奈良橋交差点を西へ200メートルほど進むと、東大和市郷土博物館入口の交差点に出ます。ここを狭山丘陵方面に入ります。八幡谷ッと呼ばれる狭山丘陵が刻んだ谷筋で、左側の峰に八幡神社、右側の峰の先端に雲性寺があります。

郷土博物館入口交差点

 ウオーキングマップ多摩湖編では、武蔵大和駅から郷土博物館コースで、多摩湖自転車道を通り、市立狭山緑地入口を経て、八幡神社の参道を右手に見ながら博物館へ達します。

周囲道路博物館方面分岐
(クリックで大)

 周囲道路・多摩湖自転車道から、市立狭山緑地入口、八幡神社、市立郷土博物館方面への分岐

20景八幡神社標示1

 八幡神社は景観と史跡に恵まれ、東やまと20景の一つに選ばれています。標識は表参道から第一の鳥居、第二の鳥居を経て、灯籠のある石段の左下左側にあります。

20景八幡神社標示

八幡神社西側
(クリックで大)

 創建年代は不明ですが、中世からの伝承を伝えます。江戸時代には修験の覚宝院(府中門善坊末)が管理に当たっていました。
 本殿裏の敷地から旧石器時代の遺跡が発見されています。本殿周辺に広がる八幡谷戸遺跡は縄文時代中期の集合遺跡です。以降、近世まで、たくさんの歴史資産があります。それらについては八幡神社にまとめます。

八幡神社へ

(2015.04.22.記)

雲性寺(奈良橋 東やまと20景・14)

 雲性寺は狭山丘陵の南麓、東大和市奈良橋一丁目、谷ッをはさんで八幡神社と並び、人々を迎えます。春の桜、秋の銀杏とそれぞれの季節に、いまもって里山のたたずまいを見せます。
 真言宗豊山派、かって背後に天王社があり、境内地に観音堂があるところから天王山観音院雲性寺と云われます。
 開基、創建は不明です。中世板碑、徳川家康の家臣・石川氏一族の墓石が残されるなど境内に文化財が多いお寺です。
 観音堂は、狭山三十三観音十八番札所として、狭山の霊性庵から芋窪の林堂への中継地で、白装束の巡礼がお参りをしました。

雲性寺全景
(クリックで大)

 晩秋の雲性寺全景 左から観音堂、本堂、庫裡 
 かっては参道の両脇に水田が広がっていて、田植えの頃には通る人々の姿が水面にうつり評判でした。

雲性寺全景2
 4月の雲性寺(クリックで大)

 この寺について地誌は次のように記します。

新編武蔵風土記稿

 「雲性寺 除地、二段五畝、村の北山麓にあり、天王山観音院と号す、真義真言宗、中藤村真福寺の末、開山開基の人を伝へず、本堂五間に七間南向、本尊弥陀木の座像一尺六寸を安せり、境内には此所の地頭石川太郎右衛門代々の墳墓あり、
 
 観音堂 門を入て右にあり、二間四方、観音は十一面木の座像一尺二寸許なり、
 天王杜 境内後背の山の中腹にあり、則村内の鎮守なり、」

狭山の栞

 「天王山雲性寺観音院は以前は本尊不動明王なりしが、後三尊阿彌陀如来を安置す。長二尺許り。脇土勢至観音二体は立像にて長一尺余。中藤村眞福寺の支院にして後の山に天王宮ある故天王山と号す。又、観音堂あるため院を然か名付く。法流開基法印伝榮は享保三戌年五月五日寂す。地内観音堂本尊は十一面観世音にして狭山第十八番の霊崛(れいくつ)たり。除地二反五畝歩は維新の際奉還す。門前に弁才天の小祠ありしが維新の際天王の社と共に諏訪山に引移す。旧地頭石川大郎右衛門代々の墓碑七本各高二尺位也。」(享保3年=1718)

東大和市史資料編8では

 「現在の本堂は昭和五十六年、弘法大師一一五〇年遠忌にあたり再建され、仏壇や仏具なども新調したという。当寺の草創、詳細な歴史については不明であるが、後世の地誌類、寺伝などによれば、永享十一年(一四三九)に堂宇を建設し天下の安穏、仏法興隆を祈誓したことに始まるという。その後、栄枯盛衰を重ね、天正元年(一五七三)に法印承永が再興し、元禄年間(一六八八~一七〇三)には地頭石川太郎右衛門により新伽藍を整備されたと伝えられる。」(p52)

山門

雲性寺山門

 正面階段を上ると山門をくくりますが、箱根本陣に使われていたものを貰い受け、昭和26年に設置したと伝えます。

雲性寺山門裏

 丸みを帯びた山門をくぐると多くの石仏、石造物がこのお寺の歴史を語ります。
 市内の他の寺院が創建地と現在地を異にするのに対して、雲性寺は当初からこの地に創建されたものと考えられます。

本堂

雲性寺境内

 本堂は昭和56年(1981)再建されました。
 左側は観音堂・狭山三十三観音十八番札所です。

雲性寺本堂

 本堂内には、木造阿弥陀三尊像、木造弘法大師坐像、木造興教大師坐像、木造地蔵菩薩半跏像(じぞうぼさつはんかぞう)などの仏様がまつられています。石造物などについてはページを改めます。

 東やまと20景 雲性寺に戻る (2015.04.21.記)

雲性寺(東やまと20景・14)

 青梅街道奈良橋交差点を西へ200メートルほど進むと、東大和市郷土博物館入口の交差点です。ここを狭山丘陵方面に向かうと八幡谷ッと呼ばれる狭山丘陵が刻んだ谷筋に出ます。その左側の峰に八幡神社、右側の峰の先端に雲性寺があります。
 
20景雲性寺位置図

東やまと20景の案内表示は、山門に向かって右下にあります。

雲性寺全景2
(クリックで大)

 ウオーキングマップ多摩湖編では、武蔵大和駅から郷土博物館コースで、都立東大和公園を経て、雲性寺の前の道を通って、博物館へ行きます。
 たくさんの歴史資産がありますので、お立ち寄り下さるようにご案内します。

20景雲性寺2


20景雲性寺

 この説明を補完するように雲性寺には永享年間の板碑として

・永享4年(1432)8月14日 覚□、
・永享11年(1439)2月3日 妙徳禅門
 銘の板碑が保管されています。

 この時代、狭山丘陵周辺に板碑をまつる集団が居住し、仏事を営んでいたことが偲ばれます。同時に、永享11年(1439)は武蔵野では名高い「永享の乱」が終息した年です。足利持氏が上杉氏に追われ、鎌倉永安寺で自害し、鎌倉公方が滅びました。持氏は前年の永享10年(1438)には武蔵府中高安寺に出陣しています。雲性寺の創建伝承は、このような変動の激しい時代に関わっており、狭山丘陵南麓の室町時代に思いが引き寄せられます。

雲性寺へ

(2015.04.20.記)
 

都立東大和公園

都立東大和公園畑口
(クリックで大)

 西武多摩湖線・武蔵大和駅を降りて、志木街道でも旧水路の上でも、徒歩15分から20分で都立東大和公園に着きます。
 ここでの入り口は、円乗院口、畑口、団地口があります。今回は畑口から入ります。
 地元で、「谷ッ入り」と呼ぶ地域です。図の右端がかっての湧水が流れた水路で、周辺に小さな水田が営まれていました。典型的な里山でその面影を残します。
 水路は武蔵大和駅の近くを流れて東村山市内に入ります。現在は暗渠になっていて、武蔵大和駅周辺からその上を歩いて、ここに達することができます。

都立東大和公園尾根
(クリックで大)
 畑口をのぼると円乗院口、団地口、幼稚園口に連なる尾根に出ます。左側の道標のところがのぼってきた畑口です。右側に公園内のルートと区域全体の案内標示があります。

都立東大和公園円乗院口案内板
東京都設置の案内板(円乗院口のもの)
(クリックで大)
 
 大きな案内板は公園全体のコースと公園への入り口を紹介します。併せて、雑木林博物館について説明し、都立東大和公園が出来た経過が書かれています。

 「東大和公園は、多摩湖の南にあり、狭山丘陵では最も美しい雑木林の残る場所です。昭和40年代後半に団地開発が計画された際に、多くの市民が東大和市とともにこの里山の自然を守りたいと東京都に働きかけ、都立最初の丘陵地公園として開園しました。それ以来、市民団体が長年、自然観察や植生の調査を行い、公園管理者と意見交換しながら雑木林の手入れに取り組むなど、多くの人の里山への思いによって守られています。」(後略)

 説明を読んで、あの頃は切羽詰まっていたなとつくづく思います。事によったら、日本住宅公団の団地になっていました。
 昭和45年(1970)8月17日、日本住宅公団から、この地域への団地の建設の申し入れがありました。
 戸数1000戸~1500戸、敷地面積約5万坪、11階建ての高層団地を建設したいとの計画です。
 丁度、町から市になる準備を進める手続きの最終段階でした。公団住宅があることは、当時、対外的には都市的形態の一つの充足とも受け取られていました。また、公団の建設協議は用地の取得のめどを付けた上での申し込みが普通でした。

 追い込まれる中で、この地域がひとたび住宅地化されると、狭山丘陵の緑は無くなるとの危機感が一挙に浸透しました。そこで、起こったのが市ぐるみの自然保護、公園緑地化への選択と行動でした。
・昭和46年(1971)12月17日、都立自然公園化への陳情を都知事に提出
・昭和47年(1972)7月24日、東京都から緑地として保全する旨の回答
・昭和54(1979)年6月1日、東京で最初の丘陵地公園として開園
 という経過でした。この流れは狭山丘陵全体に及び、都立狭山公園、八国山緑地、野山北・六道山公園、そして、その間を埋めるように、瑞穂町立六道山公園、武蔵村山市立野山北公園、東大和市立狭山緑地と狭山丘陵南麓の緑地・公園化が進みました。

都立東大和公園雑木林
(クリックで大)

 大きな案内板の向かい側に、「雑木林のいまむかし」の解説板があります。この地域の雑木林の歴史と未来を語ります。
 この公園は狭山丘陵が持つ様々な課題の集積所であることを痛感します。(2015.04.14.書き換え)
 都立東大和公園(東やまと20景・16)に戻る
 ウオーキングマップ多摩湖編に戻る

都立東大和公園(東やまと20景・16)

20景円乗院位置

 西武鉄道多摩湖線・武蔵大和駅下車、徒歩およそ15分で、都立東大和公園・円乗院口、畑口、団地口に着きます。
 狭山丘陵南麓に設けられた、丘陵地公園です。

都立東大和公園秋
公園内、秋の雑木林

都立東大和公園春先

公園内、春先の雑木林

 「東やまと20景 都立東大和公園」の標識は、数多くある入り口の一つ、みんなの広場・正門にあります。位置は下の図を参照下さい。
都立東大和公園20景

 公園について
 「狭山丘陵の東側の一角を占め、東京で最初の丘陵地公園として昭和54(1979)年に開園されました。
 起伏に富み、コナラ、アカマツを主体とする雑木林で覆われ、約20ヘクタールもの広さがあります。東側と南側には保存指定された樹林があります。
 住宅地のすぐそばにあるのに、深山へ踏み入ったような印象があり、静かな安らぎを与えてくれる場所です。」
と解説しています。

 公園内では、四季折々の雑木林が満喫できます。なお、公園内には各入り口付近に案内標識が建てられていて、気持ちよく迎えてくれ、現在地がわかって安心できます。

都立東大和公園案内板
円乗院口に建てられている標識

都立東大和公園案内板2
(クリックで大)
 都立東大和公園の全体像(公園内に建てられている標識)

 残念ですが、地元で使われる例えば「二つ池」とか「やつり」「東邦団地」「西武団地」などの標示はありません。方向を確認する上で、注意が必要です。
 面積が広いところから、入り口は、9カ所(おすすめ観察コース)あります。それぞれに楽しめます。

 観察コース入り口

 円乗院口
 畑口
 幼稚園口
 団地口
 ヤマザクラ口
 ハルゼミ口
 石畳口
 エノキ口
 正門

 この公園が設けられた経過などは 都立東大和公園 をご覧下さい。(2015.04.14.記)

続きを読む

円乗院(東やまと20景・17)

 西武多摩湖線・武蔵大和駅から歩いて15分ほど、狭山丘陵南麓の中腹に円乗院はあります。

20景円乗院位置

 山門をくぐると右側に、東やまと20景 円乗院 の標識があります。

20景円乗院

20景円乗院標識

 「東大和公園の東側に隣接しています。
 この寺院は、過去に不慮の災禍で古記録が消失したため、創建当時の事情は定かではありません。
 ただ、この寺院にある歴代塔には、賢誉法印(平治元(1159)年寂)を始祖という記録があります。
 徳治2(1307)年の年号のある市内最古の板碑は、市郷土資料になっています。
 また、鐘楼門(梵鐘を懸けた山門)は、寛延2(1749)年に建てられたものです。
 山門と美しい庭園がやすらぎを与えてくれる静かな寺院です。」

 と紹介されるように、東大和市内では三光院に次ぐ歴史を重ねています。様々な歴史的資料が残されています。
 円乗院、円乗院の石造物、円乗院と自由民権運動、円乗院の殉国戦士供養塔などの詳細については 円乗院 をご覧下さい。
(2015.04.12.記)
 ウオーキングマップ多摩湖編

東大和市で観光ガイドの会が発足

 3年越しに学習を続け、組織化を進めてきた市民による観光ボランティアの皆さんが、2015年4月10日、「東やまと観光ガイドの会」を発足させました。

観光ガイド1

 2015年3月7日、まずは蔵敷地区の熊野神社などでガイドの実践。
 力石(ちからいし)の前では、「女の方が力持ちって、記録があるんです」
 「伊勢参りの計画が中止になって、皆でこの灯籠を建てました」と古文書解読の成果を交えて力がこもります。

観光ガイド2

 熊野神社境内では、かすかに姿を見せる「芋窪礫層」の説明に
 「それ本当? この石ころが古い多摩川が運んできたなんて信じられない!!」
 と目を丸くして質問攻め。

観光ガイド3

 会則には、地域の歴史、文化、自然、景観、グルメ、特産品等の観光資源を市内外へ広報、案内することが盛られました。

観光ガイド4
 2015年4月10日(金)第一回総会

 尾崎東大和市長も出席、
 「観光資源が乏しい東大和市と評されますが、この市には独特の持ち味があり、皆さんの力で、是非、掘り起こして市民の宝にしてほしい」「できる限り応援したい」
 旨の励ましの祝辞がありました。
 出発は総勢20人、その一員として、これからが楽しみです。(2015.04.10.記)

多摩湖サイクリングロード(東やまと20景・9)

20景多摩湖サイクリングロード

 水道導水路の上を西東京市から東大和市までほぼ真っ直ぐに来て
 多摩湖(村山貯水池 上・下)を一周するコースが「多摩湖サイクリングロード」です。
 東大和市のウオーキングマップ多摩湖編では、ウオーキングコースとして下貯水池一周をあてています。
 駐在所前から出発して、駐在所前へ達する、徒歩、約2時間、7.3キロのコースです。

下貯水池入り口

 村山貯水池下堰堤への入り口(駐在所の近く)の前を通過すると間もなく標識が立っています。

20景サイクリングロード標示

20景サイクリングロード標示2

 東やまと20景設定当時の説明版が置かれていて

 多摩湖の周辺を巡る自転車道です。
 東は保谷市まで通じていて、平成6(1994)年に全道が開通すると、全長22.6キロメートルとなります。
 自然環境にめぐまれた狭山丘陵のなかを通り、サイクリングや散策を楽しむのに絶好のコースです。
 多摩湖周辺はもとより、東村山市、小平市、保谷市へも足をのばせます。

 とあります。その後、保谷市が田無市と合併して西東京市になり、東大和市のホームページでは次のように説明を変えています。

 多摩湖の周辺を巡る自転車道です。
 東は西東京市まで通じていて、平成5(1993)年に全道が開通し、全長21.9キロメートルとなりました。
 自然環境にめぐまれた狭山丘陵のなかを通り、サイクリングや散策を楽しむのに絶好のコースです。
 多摩湖周辺はもとより、東村山市、小平市、西東京市へも足をのばせます。
 
桜の頃
桜の頃のにぎわい
 
静かな秋
静かな秋

上貯水池取水塔
村山上貯水池の取水塔

上宅部の辺り?
湖底に沈んだ集落、上宅部(かみやけべ)辺りか?

下貯水池取水塔
村山下貯水池の取水塔

 これらを巡ります。歩くのもよし、自転車もよし、湖底に沈んだふるさとに思いを馳せることも一興、一度お試し下さい。
(2015.04.10 記)
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野火止用水

Author:野火止用水
 歴史大好き爺です。

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