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中央地域

市役所全景
中央三丁目 東大和市役所全景

「中央って聞くと、市役所や図書館が頭に浮かぶ」
「三丁目だろう。意外に新しく開発された地域なんだ。昭和45年(1970)の新庁舎建設用地の取得から始まる。
 建物の最初は都立東大和高校だった。凄い誘致運動をやって、昭和46年(1971)4月に開校された。
 狐につままれたような話だけれど、武州鉄道って、三鷹・吉祥寺辺りから秩父まで、新しく鉄道をひく計画があって、それが、汚職問題で挫折した。その会社が鉄道用地にと先行取得した土地がここにあったんだ。市内のどこからも中央なので、狭くて困り抜いていた庁舎問題の解決と都立高校誘致のための用地の目安に選ばれたのが始まりって云えるかな?」

東大和市町名図立野地区

「それから、中央と付く公民館や図書館が出来たんだ」
「中央公民館は昭和49・1974年、中央図書館は昭和59・1984年、その間に昭和55年・1980、庁舎建設開始、昭和57・1982年に移転している」
「確かに、三丁目には施設が集中してる。だけど、他はどうなの?」
「新青梅街道沿いにはいろいろな事業所が出来ているけど、意外に交通が不便なんだ」
「そこに問題ありか!!」

中央2丁目新青梅街道
中央二丁目 新青梅街道沿い

中央1丁目の住農混在
中央一丁目 住・農混在
東大和市案内図中央地域周囲色 
開発が進む中央四丁目
開発が進む中央四丁目

「お年寄りや幼児、障害のある方々には、生活する地元での施設の充足が望まれるんじゃない?」
「とっくにその時代に入ってるんだ」

 市民サービスの充足を目指して形成されたシビック・センターとその周辺、地区へのしっかりした連携が待たれているようです。

 社会福祉協議会、精神障害者地域生活支援センター、シルバー人材センター、テマリ保育園、のぞみ集会所
 公益法人東大和市商工会、市役所、保健センター
 中央公民館、中央図書館、都立東大和高校

話題(中央地域に関するブログなどをリンクします)

立野地域

立野2西北角4
新青梅街道沿いの立野二丁目(西北角)
 

「ともかく、立野って複雑ね。名前から、ずっと畑が続くのかと思ってた。
 そしたら、新青梅街道沿いにはビッシと新しい事業所でしょ。一つ中へ入ると、農業、住宅、そして、桜街道沿いは工業だもの」
「そうなんだ。よく、『まちの特徴を一言で』なんて聞かれるけど、ここは本当に困ってしまう。 

東大和市町名図立野地区

「なぜ、こんなに色々と混ざり合っているの?」
「長い間の都市計画の積み重ねだろうね」

立野四丁目事業者群
立野四丁目の各種事業体

大和町都市計画図土地利用色文字入り3_edited-1

「聞き慣れないけど、工業地域と住居地域が隣り合わせになってるの?」
「東大和市が町の時代、最初の頃の都市計画では、南部一帯に工業地域を設定して事業の立地を誘導して、豊かなまちづくりを目指した。昭和20年代には大小工場群が並んで、IT産業の呼び込みなどをしていたよ。
 ところが、昭和30年代から、東京が急に膨張しただろ。ここは、丁度、都心から35㌔圏にあるから、ほら、いやおうなしのベットタウン化さ。それがきっかけで、住宅地化がアッという間に進んで、用途の混合が起こった。」
東大和市案内図立野地域周囲色

 上の図の立野三丁目、四丁目が工業地域にあたり、四丁目には森永乳業が立地しました。三丁目にも、いくつかの工場が立地しています。
 北部に、隣接する第一光が丘団地などの児童のため、第八小学校が建設されました。南部には集合住宅が建設されました。
 一丁目、二丁目は住居地域でした。平成に入り、モノレール事業が進み、周辺整備を含め、「上北台駅周辺土地区画整理事業」が取り入れられました。
 さらに、周辺の乱開発を防止する目的で、「立野一丁目区画整理事業」が導入されました。このため、雰囲気の異なる区域が隣接し会うことになっています。

区画整理地区内農業
区画整理地区内で行われている農業

「聞いてみると、これからどうなるのか、とても興味がわくわ」
「上北台駅から市役所まで曲線の道路がつくられている。駅から市の中央施設へのアクセスルートで、そのアクセントだろうけど、今後、この周辺はどうなるだろうね」

話題(立野に関するブログなどをリンクします)

上北台地域

モノレール終点
多摩都市モノレール終点の現況

「ここが上北台とは知らなかった!! これからの発展基地じゃない」
「もとは「芋窪」の一部だったんだけど、町名整理で新しく生まれたまちさ。これから、うんと変わるだろうね」
「全く違う名前になったのね」
 
東大和市町名図上北台地区

「でも、なるべくこの地に関係ある名前を使おうとしたと云われるよ。
 名前の付け方は結構面白いので、この辺りの昔の小字図(こあざず)から紹介するよ」

上北台周辺小字図

 新青梅街道の南に、上北台、中北台、上南台、中南台と呼ばれた地域があります。このうち、芋窪街道を境として、桜街道までが現在の「上北台」となっています。図に向かって右側の区域は「立野」、桜街道以南は「桜が丘」です。

 上北台が「台」と云われるのは、少し高い場所であることを表します。新青梅街道が台の背にあたります。北は空堀川へと、南は桜街道に向かって地形が低くなります。小字はその状況をよく表しています。図の右を見ると八王子道が斜めに走り、そのままの小字があり、並んで長久保があります。現在の森永乳業、第八小学校の裏側の地域で、八幡通に達します。開発される前は大きく窪んでいたことを告げます。現在では地形はすっかり変わって見えますが、「冠水時通行止」の道路標識が立てられていて、いまでも水が集まることを示しています。

冠水時通行止
いちょう通りに設置された「冠水時通行止」表示

「上北台って、小高いところにあるんだ。団地と住宅のまちって印象だったけど、新青梅街道、モノレールの道、桜街道にはお店や企業が並んで、遠くのお客様を呼び込もうとしているみたい」
「そうなんだ、この地域のお店は普通の商店街とは違っていて、どんどん変化する」

 東大和市案内図上北台3 

 一歩入れば住宅地、周辺を様々な事業所が囲むまち、じっくり歩きたいといころです。
 
住宅と事業所の混在する桜街道沿い 
住宅と事業所の混在する桜街道沿い
 
 芋窪街道 多摩都市モノレール上北台駅、同桜街道駅 上北浄水所 北多摩西部消防署 上北台公民館・児童館・地区会館・老人福祉館 第十小学校 上北台こひつじ保育園 上北台団地 西武信用金庫桜街道支店 大東京信用組合上北台出張所 上北台郵便局 モニュメント籐兵衛さんと狼(中北台公園)

 話題(上北台地域に関するブログなどをリンクします)
 東大和の第一印象

清水地域

観音堂のある志木街道
志木街道沿いの清水観音堂

「観音様ね。扉が開いていることもあるから、おまつりがあるのかな?」
「昔のまま、信仰する人々が自分たちで管理してるんだ。
 狭山丘陵をぐるっと回るように狭山三十三観音の霊場があって、その十五番目だよ」
「友達のおばあちゃんが、昔は、数珠と鈴をもって、チーン、チーンと鳴らしながらお祈りしたんだって」
「白装束の巡礼が、武蔵大和駅のすぐ東にある宝珠庵からここへ来て、貯水池に沈んだ三光院の観音堂、そして、峰を越して狭山の霊性庵へと向かったそうだ。
 札所が創られたのは1700年代中頃から末にかけてと云われるから、300年以上も前から、位置は変わらないんだね」
「清水って、そう云うところなんだ・・・」
 
東大和市町名図清水地域

「ところで、清水って、どこかに清らかな泉があるのかな?」
「名前は複雑でさ、新編武蔵風土記稿は『村の開闢の年代及村名の起こる所をしらず』、
 狭山之栞は『狭山が池の清水流れゆく地に当たるや、古時よりかくは号す』
 で、狭山が池を水源とするけど、ここで云う狭山が池は貯水池に沈んだ区域にあって、そこは後ヶ谷・宅部と云われていたから、この説は無理のようだ」
「じゃー、丘陵からの湧き水ね」
「多分、そうだろうね。地元の人が記した『五十嵐考』ではそう云っている」
 
清水地域2

 東大和市東端の地域です。村山貯水池建設前は貯水池区域に上宅部があり、狭山丘陵南麓の清水と一帯となって清水村を形成していました。そのため、それぞれに特色のある地域を構成していましたが、貯水池建設により上宅部が清水に溶け込むように移転したため、両者が混淆した風情を残します。

 清水神社は貯水池に沈んだ、上宅部の氷川神社と熊野神社が合祀となり、現在地に移転しました。三光院は現在の取水塔の近くから原の先端に移転しました。清水二は二つの大日堂があり、上宅部にあった上の大日堂は三光院墓地に移り、原の大日堂はもとからの位置にあります。正徳2年(1712)の大日如来が今も在りし日を伝えてまつられています。この地域にはそれらをまもった二人の修験が活動し、それぞれがよもやま話を賑わせます。

 河岸街道が江戸街道から分岐し、新河岸川へと通じていました。舟運が石灰を運ぶ道・江戸街道・青梅街道の陸運に代わった象徴的な道筋です。清戸街道の傍らには道行く人のために井戸を掘り、清水囃子を育てた人の存在が伝えられます。

 西武多摩湖線の武蔵大和駅の線路部分は東大和市域です。この路線の生まれる経緯は鉄道フアンに気をもませます。鉄道のガードが志木街道にあり、周辺の広域交通、駅前広場、自転車置き場など今後の都市計画のあり方に注目です。

・清水神社(氷川神社跡・熊野神社跡)、清水観音堂(15番)
 大日堂(下の大日堂、大日如来座像、大久保峡南墓碑)
 三光院(上の大日堂、板碑、名号塔場)、観音堂(16番)、庚申神社(板碑)
・名主屋敷跡、吉岡画伯邸、
・村山道旧道(伝べえ地蔵)、江戸街道、清戸街道(新青梅街道)、河岸街道、おくまん坂
・前川(本村橋、峡南橋跡)、空堀川(上砂二の橋)
・水道第二緑地(玉川上水の水)、宮鍋隧道(村山貯水池建設、軽便鉄道)
・都営住宅(初期の立地)
・武蔵大和駅(西武多摩湖線)
・モニュメント
 26清水囃子(清水神社境内)、27火をふところに入れた法印さん(清水集会所前)、
 6狭山丘陵の古狸(水道第二緑地)
・よもやまばなし
 32三光院の鐘(70) 42多摩湖の花火(95)46楽隊(明治時代)(102) 60清水囃子のけいこ(133)
 74しし穴の話 (165)
・東やまと20景
 三光院 
 
空堀南から東大和・東村山境
 改修後の空堀川と東大和市、東村山市境界周辺
 
 武蔵大和駅から歩き始めると、南北、東西どちらの方向でも、新旧時代の特色がある光景にぶつかります。空堀川が大きく改修され、周辺の景観を変えつつあります。

話題(清水に関するブログなどをリンクします)

狭山地域

狭山1
谷ッ入りの集落
                                江戸街道分岐
新青梅街道から江戸街道への分岐
                           
「狭山って、素敵な名前ね。やっぱり狭山丘陵の地形からきているのかしら?」
「狭山丘陵って、人里の谷が懐かしい気配をこめて、さほど高くない峰が連なって、それでいて独立している。群れ山が村山に、その谷々がサ山になったのかな」
「私の友達が埼玉県の狭山市に住んでるけど、どっちが本家?」
「それは、複雑だよ!! 
 東大和市の狭山が狭山を名乗ったのは明治8年(1875)
 狭山市が狭山を名乗ったのは昭和29年(1954)
 だから、80年の差がある、なんてのは駄目だろうね」
「どうしてさ」
「どっちも、いくつかの村が合併するとき、新しく選んだ名前だからさ。元からの集落や村の名前であったら文句は出ないだろうけど、瑞穂町から「狭山が池」は古歌にうたわれている、入間市から、宮寺には天保3年(1832)の撰文銘をもつ重闢茶場碑(かさねてひらくちゃじょうのひ)がある、などと苦情が出たら、グウとも云えない。また、狭山を名乗る池や場所や謂われはいくつもあるから・・・」

東大和市町名図狭山

 狭山は、西武多摩湖線武蔵大和駅を降りて志木街道を西に進むと、北側に2丁目、3丁目、南側に4丁目、5丁目があります。1丁目は武蔵大和駅から周囲道路を進めば、村山貯水池に接する場所に出ます。志木街道からは2丁目、3丁目の間の坂道を越すと達します。
 丘陵部と南部の一部に開発が進んでいますが、かって明治8年、合併して狭山を名乗るまで「後ヶ谷村」「宅部村」と云われたように、江戸時代からの旧村がそのままの道筋で続きます。但し「宅部村」は村山貯水池に沈んだため、移転した後の姿に接します。

東大和市案内図狭山色囲み

「訪ねどころがいっぱい詰まっているんだ!!」
「里山集落だから、どこを回ってもトリコになるよ」

 村山貯水池の建設により中世からの旧村部が移転して狭山丘陵の南麓に新しい集落を形成しました。狭山丘陵の起伏を生かした里山集落の名にふさわしい景観と地域構成をしています。
・「谷ッ入り」と「廻田谷ッ」の二つで構成されていた狭山丘陵南麓の旧村地域
・村山貯水池に沈んだ「杉本」、「内堀」の旧村地域
 が、それぞれに名主を抱いて一村を形づくっていました。狭山丘陵の峰を共にしての構成であるところから、文化財、生活習慣の話題に富んでいます。
 貯水池に沈んだ宅部には、中世に遡る歴史が確認されており、残念ながら水没したため、遺跡として確認されていませんが古代の歴史が埋もれていることが推定されます。

 狭山の名は、明治8年(1875) 以降で、「後ヶ谷村」と「宅部村」(内堀)が合併してこの名を名乗りました。

・狭山神社(神明社・御霊神社、狭山の夜学額)、神明社跡、円乗院(歴代住職碑・平治元年(1159)銘、
 聖徳太子石像、享保3年(1718)石灯籠・愛宕大権現銘)
 霊性庵(17番 六地蔵、馬頭塔、庚申塔、嘉永7年(1854)地蔵尊)
・旧村山道一部、志木街道、新青梅街道(江戸街道)、江戸街道分岐、杉本坂、高木・狭山村境界、
・前川(谷津大橋、坂下橋)、空堀川(狭山橋、上砂一の橋)、谷ッ入りの川
・名主屋敷
・都営住宅
・モニュメント
 野球少年 
・よもやまばなし
 20愛染様(43) 98力石(213) 35昔の学校と子供たち(78) 38ザンザラ(87) 
 59村の運動会(130)88こさ池とかゆ塚(195) 94行人塚 (206)
・東やまと20景
 17円乗院

 話題(狭山に関するブログなどをリンクします)
 神明社の大木  擁壁

掲示板3

講座の皆様

 講座修了後の方向づけ

7月25日 上北台公民館で話し合いをしました。その結果を報告します。

 場所、上北台公民館301号室 日時、2012年7月25日午前10時~12時 出席者、10人

1、今後の進め方
 全員による自由な意見発表後、継続か、解散かについて意見を集約しました。
 様々な思いが表明されましたが、全員が何らかの方法で「継続」するとの意向を示されました。

2、活動の内容
 ①技術習得 交流
 ②ネットサークルの形成 

 ・大きく分けて①②が考えられますが、当面、①の会員内で技術習得と交流を中心とする。
 ・その後のことは、状況に応じて定める。
 ・現在の会員を中心とし、外部への呼びかけは行わない。
  事にして、自主グループとして上北台公民館に登録し、活動をする事になりました。

3、会の構成
 自主グループとしての会の名前が必要です。そのことの決定に時間をろうすることを避け、
 次回に、各人が会の名前の候補を持ち寄り決定する。会則、その他は状況に応じて対応する。
 ◎楽しく過ごすことが第一
 となりました。
 同席された公民館長も了承され、次回からは、自主グループ○○○となり、上北台公民館施設の利用が可能となりました。
 ◎講座に出席された方で、本日欠席された方々にはこれらについて、別途連絡することになりました。
 名前が決まるまで掲示板は講座の皆様とします。

3、会の運営
 全員参加、全員役割分担を原則とし、当面、並んだ席順に、
 世話役、多摩のおじさん、菊華仙人、空堀川、野火止用水
 技術指導、東京の街角から、多摩のおじさん
 が当たる。
 但し、短期に交代し、今回の任期は来年3月までとする。
 次期
 世話役、 和親体健、酒、capone1、イッセー、○○○
 技術指導、多摩のおじさん、東京の街角から
 となりました。

4、次回からの日程
 具体的な技術習得に関する、要望があり、当面、月2回ほど、開催。
 水曜日、午前10時~12時 上北台公民館301号室
 ・8月8日、22日
 ・9月12日、26日

5、会費
 この会の性格から、インターネット接続の必要性があり、会員のご厚意により接続環境を用意します。
 そのための費用として、月額100円を負担することになりました。
 やがて、印刷費などが必要になった場合は、その際に決定します。

6、意見・要望
 ご意見、ご要望を会の運営に反映します。この掲示板に公開・非公開にチェックを入れてお寄せ下さい。

7、散会後の交流
 打ち合わせは、11時に終了し、その後は、ネット環境に繋ぐことを中心に、それぞれに楽しみました。

8、次回の内容
 世話役さんと打ち合わせながら、決めて、改めてお知らせします。
         
                               以上 2012.07.26. 野火止用水
 
水族館

多摩湖地域

村山下貯水池 
村山下貯水池・上の堰堤から

「ウヮー広い。綺麗!!」
「別天地!!」

 いつ来ても、その都度、雰囲気が違うから不思議なものです。都民の水がめ、村山貯水池は、下の堰堤付近の一部を東村山市、上の貯水池の西側の一部を武蔵村山市の区域として、ほとんどが東大和市域です。東大和市のもととなった5つの旧村(芋窪、蔵敷、奈良橋、狭山、清水)のそれぞれ一部が湖底に沈みました。町名地番整理により、それらを統一して、村山貯水池の愛称「多摩湖」から丁目を「多摩湖」としています。 
 
「人は住んでいるのかな?」
「数人の方々が、住んでいると聞くよ」

東大和市町名図多摩湖


 中学生の時、体育の時間に、「今日は上の堰堤回わり」、時には「下の堰堤回わり」と、どうやって先生は決めるのかなどとがやがや言いながら、周囲を巡る道路を走りました。大抵がお昼前で、空腹にへこたれた思いが強く残ります。

東大和市案内図多摩湖文字色入り 
中央の堰堤を境に、左側が上貯水池・右側が下貯水池

「古村が沈んだと云ったけど、いつ頃のこと?」
「明治末年から建設が話題となっている。大正3年(1914)、用地測量、大正4年(1915)用地買収、大正5年(1916)、工事の開始、昭和2年(1927)に完成した。沈んだ区域には、この地域を表す独特の地名が付けられていた」

天保11年道路・小字名多摩湖色入り 
湖底に沈んだ区域の小字

 個別の地域では、地名はさらに細部化され、例えば「内堀」の地域では 「古澤、川上、ハツキダ、膳棚、竹淵、御料前、日向尾根、杉山入、入山、○山、寺嶋、源氏、小十郎窪、椚田」
 などの区分がありました。
 さらに、古い塚として、「行人塚、東光院塚、大塚、庚申塚、御判塚、塚の腰、送神塚、霊光塚」
 などがあって、谷の中で、水田や畑、林業を営みながら親密な生活が行われていたことがわかります。

「移転したのはいつ? 何人くらい?」
「大正4年(1915)に移転が始まり、162戸の方々が、多くは市内の狭山丘陵の南の原に移転した。所沢市、東村山市、武蔵村山市、小平市などに14戸の方が移られている。家財道具を運ぶのに狭山丘陵の坂に、悩まされている。お墓を動かすのが大変だった話が伝わるよ。併せて、慶性院、蓮花寺、御霊神社、三光院、氷川神社などが、現在の場所に移転した」

 そして、「石川麻呂、籐兵衛さんと狼、馬方勝っあん、槌頭(つちんど)、行人塚(ぎょうにんづか)、厄神さま、辻しょうげ、きつねの恩返し、ねずみ沢のかっぱ・・・」など、東大和市の代表的な「よもやまばなし」が谷から移って丘陵南麓で語られるようになりました。

・慶生門
・多摩ローム層の露出地
・豊鹿島神社奥の宮
・たっちゃん池
・モニュメント 
 木綿絣
・よもやまばなし
 10内堀部落の女堰(23)21厄神さま(45)、22辻しょうげ(47)29村山絣(62)43野外映画(97)
 52出ば出ろ(115)53ぶんさんのはなし(116) 54馬方勝っあん(118)
 60清水囃子のけいこ(133)66三日の正月(144)73藤兵衛さんと狼(163)
 75槌頭(つちんど)(167)77きつねの嫁どり・きつねの嫁入り(171) 78いたずらぎつね(173)
 81きつねの恩返し(179)88こさ池とかゆ塚(195)93石神の話(204) 95いかづちさま(208)
 98力石(213)
・東やまと20景
 多摩湖(下貯水池)、多摩湖サイクリングロード、多摩湖橋と上貯水池  


 話題(多摩湖に関するブログなどをリンクします)
 湖底に沈んだ古村  多摩・入間郡界  
 多摩湖と二つ池  今朝の狭山公園  鎌倉古道・山口道  ほたる・残念  狭山の富士  摩周湖の霧・・?   Uーターン   宵待草  夜明け前  真っ赤に燃えた二つの太陽

高木地域

東大和市町名図高木地域


「どうして、高木なの?」
「高木神社に松や杉の大きな高い木があってさ、府中や青梅、田無あたりからも見えたんだって。それで、いつの間にか、そう呼ばれたのが始まりだってさ」
「随分わかりいいけど、ホンとかな」

 幕末から明治初年の記録『狭山之栞』(さやまのしおり)は上記の由来を紹介して
『現在、神木と称する欅の枯れし幹のみ存せり。その高さ二間程、めぐり八尺あり。」としています。もう一つの江戸幕府が編纂した資料では「郷庄の唱を伝えず、』(新編武蔵風土記稿)としています。

「ということで、どうだったのかな・・・」
「それじゃ、高木神社は?」
「明治になって名前を変えて高木神社になったんだ。もとは尉殿権現社(じょうどのごんげん)だった」
「凄い名前ね」
「高木の地域性をよく表していると思うよ」

 尉殿権現社は、西東京市にあります。現在の田無神社の前身です。水の神とされます。田無と同じように、高木は水田のない地域です。狭山丘陵の南麓の「ハケ」(=湧水)を唯一の生活水源とする畑作地域です。一方、南の原中に、奈良橋川と空堀川の合流点を持ち、川端と呼びました。普段は水量の少ない「藪川」(やぶかわ)ですが、事あるときは溢水の被害を起こしたと伝えられます。狭山丘陵南麓の「山際」「本村」(ほんむら)から、原の川端までが高木の人々の日常生活圏でした。そこで水の神がまつられたのでしょう。
  
東大和市案内図高木色塗り完

「高木の獅子舞って有名じゃない・・・」
「現在も毎年9月に舞われている。それは江戸時代の舞だけど、別に、古い獅子頭が伝えられている。言い伝えでは中世に遡る可能性があり、今調査中なんだ」
「中世って云えば、高木を通る八王子道って、その頃の道?」
「うん、八王子へ向かう直通の道で、東大和市の中を斜めに通っている」
「それに、高木神社の前を通る道も古いと聞いたけど・・・」
「うん、清戸街道だろ。両方とも八王子城主・北条氏照に関係するかも知れない。清戸街道は所沢の滝の城への道とも考えられる」

 ということで、歴史的にも豊かな背景を持ち、明治初年には連合戸長役場が置かれ、6っの村の政争の激しい中心点になりました。狭山茶の育成が行われ、個建ちの住宅が開発を進める話題を含む地域です。

 話題
  高木地域に関するブログなどをリンクします。   

蔵敷地域

 蔵敷(ぞうしき)は新青梅街道以北、狭山丘陵の南麓に位置します。新青梅街道から入ると近代的な集合住宅団地内を通り、そのまま、狭山丘陵周辺に近づくと、新しい開発と共に古村のたたずまいが残る、不思議な地域です。
 江戸時代の正徳年間(1711-1715)に、隣接する奈良橋村から分離独立しました。珍しい村名で、様々な説があります。代表的なものは江戸時代末期の地誌である新編武蔵風土記稿が次のように伝えます。
 「蔵舗村は、奈良橋の内に属す、正徳年中分村せしといえど、郡村名寄帳にもみえず、一村には立かたし、故ここに隷す、或は蔵式と書り、民家五十五軒なり、・・・」
 で、奈良橋村に居住した領主・石川氏の蔵があったところから名付けられたとするものです。古文書では「奈良橋村の内蔵敷分」と書かれることが多いようです。

東大和市蔵敷地域 

 寛延2年(1749)から、名主役をつとめた内野氏が「里正日誌」(りせいにっし)として、丁寧な記録を残したことから、それ以降のことは詳細にわかり、東大和市をはじめ狭山丘陵周辺の事を知る上で、貴重な資料となっています。特に、幕末の領主であった江川太郎左衛門との深い交流から、明治維新を迎える村の状況を動的に知ることが出来ます。

 江戸時代の旧道がよく残り、青梅街道沿いに高札場跡があります。蔵敷庚申塚は現在、変形しながらも塚の姿を残しており、その南には幕末の「農兵調練場跡」があります。周辺の道路の交差などから、この地域のありし日の姿を彷彿とさせます。
 丘陵南麓には旧家が連なり、太子堂があります。聖徳太子をまつる人々の「講」が行われた場所で、狭山丘陵周辺では珍しいとされます。明治維新後、小学校が置かれました。隣接する奈良橋との間に東大和市が進める狭山緑地の小さめの谷があり、湿性植物などの植生を目に出来ます。地元では、「仙光が谷ッ」と呼び、かっては墓地がありましたが、猪害のため、庚申塚の近くに墓地を移転した経緯があります。雑木林の新緑と秋口の紅葉が美しい場でもあります。

東大和市案内図蔵敷周囲色

 昭和30年代から、農兵調練場の南に集合住宅が建設され、福祉施設の進出、新青梅街道沿いの店舗など、点在する農地とともに、独特の景観を目にします。

話題
 蔵敷地域に関するブログなどの話題をリンクします。
  里正日誌を読んでみます  村の心得之事 日米和親条約とその前後

奈良橋地域

 奈良橋は狭山丘陵の南麓、市域の中央に位置します。古い村で、道、神社・お寺、言い伝え、などなど、「集落」「村」「町」の要素のほとんどが残されています。新旧混ざり合った街角を訪ねることが出来ます。なぜ、奈良橋なのか、その名前の由来は諸説入り交じり、不明です。豊鹿島神社本殿の創建棟札(文正元年・1466)に「武州多摩郡上奈良橋郷」の記録があり、古くから使われてきています。
東大和市奈良橋地域

 通称「八幡谷ッ」と云われる八幡神社と雲性寺の間に刻まれている狭山丘陵の谷戸を中心に開かれた集落を母体としてまちがつくられて来ました。そのため、江戸時代からの跡をたどることが出来ます。さらに、八幡神社東側の道路は、中世の「鎌倉街道」の伝承があり、府中市に「奈良橋道」があって、関連性を考えさせられます。図としては見にくくなりましたが周辺に住宅団地が造られている様子を加えました。右上の開発された地域からは古代の遺跡が発見されていて、八幡谷ッとの一帯を形成していたことが推測されます。

 八幡谷ッでは、谷戸からの湧き水を利用して、水田が営まれていました。雲性寺には、江戸時代にこの地を治めた地頭・石川氏の墓があります。石川氏が構えた陣屋跡なども、残された稲荷祠によって推定が可能です。雲性寺門前には、庚申塚にまつられていた馬頭観音像や庚申塔が集められています。

 狭山丘陵南麓に村山道が走り、現在では奈良橋交差点を中心に青梅街道と志木街道に分かれています。志木街道からは地元で清戸街道と呼ばれる道が分かれ、中世か江戸時代の古道のたたずまいを見る事が出来ます。

 奈良橋川と空堀川の間に近代の施設が集まり、市内に10校ある小学校の内の第一小学校、5校ある中学校の内の第一中学校と、教育施設の最初のものが、この地に集中しています。
 空堀川の周辺に、2万年ぐらい前の旧石器人のキャンプ地が発見されて、この時代の武蔵野の様子を考えさせられます。
東大和市案内図奈良橋完周囲色のコピー

 奈良橋川は自然発生的な蛇行の様子をとどめます。空堀川は改修前と改修後の姿に接しながら両者の縁を歩くことができます。

 所々に農地が生産緑地として保存され、作物に新しい挑戦がされています。新青梅街道はこの地域では、江戸街道=青梅道=石灰の道でした。庚申塚には、その交通安全を祈願する馬頭、庚申塔が立てられ、道しるべの役割を果たしていました。

 奈良橋市民センタの場所に、大和村役場、大和町役場、東大和市役所がありました。この地が新青梅街道以北、狭山丘陵南麓を中心として生活基盤を形成していた人々の中心であったことを示します。現在は上図の市役所位置の通り、新青梅街道以南に中央施設が配置されるようにまちの中心点が移っています。

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 奈良橋6丁目で狸 今年の多摩湖梨
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野火止用水

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