多摩湖地域

村山下貯水池 
村山下貯水池・上の堰堤から

「ウヮー広い。綺麗!!」
「別天地!!」

 いつ来ても、その都度、雰囲気が違うから不思議なものです。都民の水がめ、村山貯水池は、下の堰堤付近の一部を東村山市、上の貯水池の西側の一部を武蔵村山市の区域として、ほとんどが東大和市域です。東大和市のもととなった5つの旧村(芋窪、蔵敷、奈良橋、狭山、清水)のそれぞれ一部が湖底に沈みました。町名地番整理により、それらを統一して、村山貯水池の愛称「多摩湖」から丁目を「多摩湖」としています。 
 
「人は住んでいるのかな?」
「数人の方々が、住んでいると聞くよ」

東大和市町名図多摩湖


 中学生の時、体育の時間に、「今日は上の堰堤回わり」、時には「下の堰堤回わり」と、どうやって先生は決めるのかなどとがやがや言いながら、周囲を巡る道路を走りました。大抵がお昼前で、空腹にへこたれた思いが強く残ります。

東大和市案内図多摩湖文字色入り 
中央の堰堤を境に、左側が上貯水池・右側が下貯水池

「古村が沈んだと云ったけど、いつ頃のこと?」
「明治末年から建設が話題となっている。大正3年(1914)、用地測量、大正4年(1915)用地買収、大正5年(1916)、工事の開始、昭和2年(1927)に完成した。沈んだ区域には、この地域を表す独特の地名が付けられていた」

天保11年道路・小字名多摩湖色入り 
湖底に沈んだ区域の小字

 個別の地域では、地名はさらに細部化され、例えば「内堀」の地域では 「古澤、川上、ハツキダ、膳棚、竹淵、御料前、日向尾根、杉山入、入山、○山、寺嶋、源氏、小十郎窪、椚田」
 などの区分がありました。
 さらに、古い塚として、「行人塚、東光院塚、大塚、庚申塚、御判塚、塚の腰、送神塚、霊光塚」
 などがあって、谷の中で、水田や畑、林業を営みながら親密な生活が行われていたことがわかります。

「移転したのはいつ? 何人くらい?」
「大正4年(1915)に移転が始まり、162戸の方々が、多くは市内の狭山丘陵の南の原に移転した。所沢市、東村山市、武蔵村山市、小平市などに14戸の方が移られている。家財道具を運ぶのに狭山丘陵の坂に、悩まされている。お墓を動かすのが大変だった話が伝わるよ。併せて、慶性院、蓮花寺、御霊神社、三光院、氷川神社などが、現在の場所に移転した」

 そして、「石川麻呂、籐兵衛さんと狼、馬方勝っあん、槌頭(つちんど)、行人塚(ぎょうにんづか)、厄神さま、辻しょうげ、きつねの恩返し、ねずみ沢のかっぱ・・・」など、東大和市の代表的な「よもやまばなし」が谷から移って丘陵南麓で語られるようになりました。

・慶生門
・多摩ローム層の露出地
・豊鹿島神社奥の宮
・たっちゃん池
・モニュメント 
 木綿絣
・よもやまばなし
 10内堀部落の女堰(23)21厄神さま(45)、22辻しょうげ(47)29村山絣(62)43野外映画(97)
 52出ば出ろ(115)53ぶんさんのはなし(116) 54馬方勝っあん(118)
 60清水囃子のけいこ(133)66三日の正月(144)73藤兵衛さんと狼(163)
 75槌頭(つちんど)(167)77きつねの嫁どり・きつねの嫁入り(171) 78いたずらぎつね(173)
 81きつねの恩返し(179)88こさ池とかゆ塚(195)93石神の話(204) 95いかづちさま(208)
 98力石(213)
・東やまと20景
 多摩湖(下貯水池)、多摩湖サイクリングロード、多摩湖橋と上貯水池  


 話題(多摩湖に関するブログなどをリンクします)
 湖底に沈んだ古村  多摩・入間郡界  
 多摩湖と二つ池  今朝の狭山公園  鎌倉古道・山口道  ほたる・残念  狭山の富士  摩周湖の霧・・?   Uーターン   宵待草  夜明け前  真っ赤に燃えた二つの太陽
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野火止用水

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