暑さお見舞い

 暑いばかりでなく、続く不自然な自然現象に何かを考えさせられる日が続きます。
 古いアルバムから、西芳寺を見つけました。画像はクリックで大きくなります。

西芳寺1

 写経をスピードアップして、庭にお邪魔した後ろめたさに冷や汗が出ます。

西芳寺2

西芳寺3

 2008年6月21日、台風の予報を聞きながらの訪問でした。

西芳寺4

西芳寺6

西芳寺7

 影向石のしめ縄もしっとりして、離れがたく、佇みました。
 2017年、改めて、これからの無事を祈ります。

(2017.08.09.記)

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前野稲荷さんの原風景

 我がまちのお稲荷様の言い伝えを調べています。
 村山貯水池に沈んだ戸数28戸の「内堀」という集落では、江戸時代、瘡守稲荷(かさもりいなり)、峯稲荷、失物稲荷(うせものいなり)・・・などがまつられていました。死が伴う疱瘡についての無事や治癒を願う瘡守稲荷、おそらく高台にまつられていたであろう峯稲荷はストンと納得ですが、失物稲荷にはよほど何かがあったのだろうと苦笑です。

 そうこうしているうちに、次の記録に出会いました。

 「前野稲荷は前野に在る。神木の大杉は廻り一丈三尺余(約4メートル)で、田無や柳澤辺よりも見える程の高さであった。弘化三年(1846)二月二日の大風で倒れてしまった。俗に枯杉稲荷と呼び伝えられる。
 境内に紅葉の大木がある。廻り八尺余(約2.4メートル)である。明治維新の際、伐って神官の復飾料に供した。」

 という、『狭山之栞』 の記事です。江戸時代末から明治初年にかけて地元の郷土史家杉本林志氏が書き残しました。
 前野とは名の通り、集落から少しばかり離れた畑作地域です。1600年代末に茫々たる武蔵野の原野を新田開発した区域で、一面に畑が広がっていました。

前野稲荷位置図
昭和13年(1938)大和村図(クリックで大)

 昭和13年(1938)の図ですが、赤点が前野稲荷の地です。周辺は全面桑畑になっています。明治まで、ここに、大人二人で抱えるほどの大杉と紅葉の大木が並んで、その元に小さな社があった、これが原風景のようです。祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、境内面積は92坪(約300㎡)、信徒49戸とされます。文字通り穀物、豊作祈願の神でした。

蔵敷の三本杉
蔵敷三本杉(クリックで大)

 どこかに原風景を偲ばせるところがないか探しました。お稲荷様ではありませんが蔵敷の三本杉に見られそうです。
 周辺の人家を全部消して、一面の畑の中にポツンと三本の大杉がある姿をご想像下さい。ここでは、根元に塚が築かれ天王様がまつられていました。

DSC_4947.jpg
狭山神社の境内社としてまつられている前野稲荷社(クリックで大)

 東大和のお稲荷さんは屋敷神を含めると233社あります。その中で、原にまつられたのは前野稲荷だけと云えるかもしれません。「稲生り」(いなり)、「稲成り」(いなり)などがお稲荷さんの語源とされます。畑の中にまつられ、まさにその象徴とも云えそうです。

 紅葉の大木は、明治維新の際、伐られて神官の復飾料になりました。神仏習合排除によって、それまで円乗院が別当としてお守りしていたのを、僧侶の一人が神官になっておまつりすることになりました。その身分替えの経費となったようです。明治39年(1906)、前野稲荷は狭山神社の一隅に遷されています。原風景の写真が残されていればと、手を合わせる度に思います。

DSC_3886.jpg
杉の大木の画像が見つかるまで、暑さしのぎに西芳寺の切り株です。(クリックで大)

  (2017.08.04.記)

西山の夜泣きさま

西山稲荷
 志木街道からの狭山丘陵、高木地域。道路の奥の中段にお稲荷さんの祠があります。 クリックで大

「こんな暑い中、よく来なさったね」
「前に来たときは、もっと西の方で、先代さんに話を聞かせてもらって・・・」
「もう、移ってから30年にもなるよ」
 
 東大和市高木、狭山丘陵の中程の高台にお稲荷様がまつられています。
 個人の屋敷神ですが、夜泣き封じの伝承を伝えます。『東大和のよもやまばなし』はこう語ります。

DSC_60271.jpg
 現在も丘陵の中腹にまつられています。 クリックで大

  「高木村の西の端の高い所にあるので西山のダイさんと呼ばれている家のお稲荷さんは「夜泣きさま」といって村の人達に大変信仰がありました。それは子供が夜泣きをして困った時に背負ってお参りすると不思議と夜泣きがなおったからで、多くの人が五厘(昭和初め)のお賽銭を上げてお願いしていきます。由来は当家でもわからないということですが、お参りして一週間もすると、
 「おかげさまでなおりました」
 と油あげや豆腐を供えてお礼にいきました。

 高い所にお社があるので赤ん坊をおんぶしたおばあさんは登っておまいりするのがとても大変でしたので、山道の下から拝んで帰る人もいたそうです。それでもご利益には変りなかったようです。

 毎年二月十一日にはお神酒・赤飯・油あげなど好物を供え、篠竹に紙の旗を立ててお祭をしています。
 松山の中でどんどん開発されていくまちの発展を見守るように鎮座ましましています。」(p11~12 一部省略)

DSC_60291.jpg
狐さんも増えて賑やかです。クリックで大

 先代さんからこの物語を聞き取ってから30数年を過ぎ、西山のダイさんは数10㍍東側に転居されました。お稲荷さんも新たな場所に遷されました。2017年7月24日、そのお宅を訪ねました。顔見知りの奧さんが丁寧に案内して下さいました。

「外からは場所がわからなくなったけんど、今でも、時々、お参りさせて下さいって、来られるよ」
「夜泣きですか?」
「それは聞かないことにしてるの」
「子供への暴力、虐待・・・なんて増えてるし、他人には言えない願い事もいっぱいだもんね」
 
「でもね、ここへ、引っ越して来た後、祠の中を掃除したんだ。そしたらさ、ヤモリが2匹居なさった。そりゃビックしたよ。けんど、こうして家を守って下さってるんだと改めて気がついてよ、とっても感謝してんだ」
「いい話! 書き留めておいて、みんなに伝えたい」

 なぜ、豊作、何事も繁盛のお稲荷様が夜泣き封じをして下さるのか聞きたかったのですが、伝えはなく、西山のお稲荷様は、新しい御利益をもたらせ、大事に、大事におまつりされていました。
(2017.07.25.訪問 27日、記)

白百合

「奧さん、花粉が付くといけないけど、
 伜が持ってきてくれたので・・・」
「スゴイじゃない。飾る! なんて名前?」
「私にはわからないのよ。有名な女優さんのようだったけど、でも、どこへ置くの・・・」
「そりゃ玄関よ」

 こうして白百合の蕾の一枝が花瓶に入れられました。
花が開くと良い香りがして
「ほら見て・・・」
と呼び込みです。

Dsc_60001.jpg
(クリックで大)

一つ一つ、開花が増えます。するとズボンやシャツに何やら小さな斑点がくっつき始めます。
ちっともとれません。
「花粉だ・・・」
「外へ出すか・・・」
「かわいそう」

 出かけて帰宅すると、花が真っ白になっています。
「○○さんと話し合って、花粉とったのよ」
「切り枝だから、雄しべと雌しべが区別つかなくなっても、許してくれるんじゃない」
ということでご覧の真っ白ユリになりました。

Dsc_60162.jpg
(クリックで大)

「ついでに、床の間にも置いたの」
 夜、扇風機をリズムに切り替えると、かすかな香りが行ったり来たりして、いつの間にか眠りにつきます。
(2017.07.21.記)

こわい顔

 急速に暑くなってきました。体の温度調整が下手なものですからこの時期はこたえます。
 朝、玄関を開けて新聞受けに向かうと、お隣の奥さんから
 「昨日、木の枝を伐ったものだから、腰が痛くて・・・」
 と声がかかり

 「さっぱりしましたね」
 「日差しを遮ってくれるのはいいんですけど、その分うっとうしくて、伐っちゃいました」
 「両方うまくゆかないもんですね」

 「時にお宅も昼間は冷房をつけっぱなしですか?」
 「だんだん使う時間が増えてます。でも、それじゃいけないって云うんで困ってます」
 「うちでもそうで、主人は、仏像の怖い顔を見て我慢するしかないって云うんです」
 「怖い顔ですか・・・」

 ということで部屋に戻りました。そういえば、自分も、パソコンの前の壁にお不動様の額をかけている。
 さて、今日、冷房を切ったら、どうするか。自問自答しながら頭の中で探しました。最初に浮かんだのが

雲性寺馬頭観音
(クリックで大)

 雲性寺の馬頭観音様。今日はこの像を画面いっぱいにして、暑さに向かうことにします。

(2017.07.03.記)
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野火止用水

Author:野火止用水
 歴史大好き爺です。

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