千葉卓三郎はどこで葉書を投函したか

 明治14年(1881)、自由民権運動の最盛期、五日市憲法の草案の策定に携わった千葉卓三郎が、一時、奈良橋村(現・東大和市奈良橋)に滞在していました。5月から10月頃にかけてです。その時、五日市の深沢権八宛に三通(5月15日、7月13日、9月○○日)の手紙を出しています。
 さて、その手紙、どこで投函したのでしょう?
 
 当時、郵便局は奈良橋村周辺にはなく、小川村(現・小平市)にただ一つありました。「小川郵便局」です。
 卓三郎は投函するため、そこまで歩いたのでしょうか。

 どうやら、一度は歩いたように思えます。二度目からは目の前で投函できました。
 それは、明治14年7月5日に、小川郵便局の集配地域である東村山市、東大和市、武蔵村山市、国分寺市の一部の村々に郵便切手の「売下所」と「函場」(郵便箱・ポスト)が設けられたからです。奈良橋村では鎌田喜三郎家に置かれました。
 卓三郎が滞在していた家です。

鎌田家
「郵便切手売下所」と「函場」が設けられた鎌田喜三郎家

 送り先の五日市には、すでに明治5年(1972)に郵便取扱所がありました。卓三郎はその違いと共に、狭山丘陵周辺の民権運動の新しい展開に今後の想いを広げたのではないでしょうか。(2017.04.27.記) 
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スマホでブログ

 生来の電話嫌い。生涯、ケイタイ、スマホ類は持つまいと決めていました。
 ところが、どうしても「ライン」とやらをしなければならなくなり、急遽、手にしました。
 後期高齢者には、設定が苦労です。

 そんな中で良いことがありました。
 スマホでは文章の長いのは御法度。
 読んでもらえないのは当たり前。
 に気付かされました。

DSC_52141.jpg

 これじゃダメですね!!
 せいぜいこの位?
 
DSC_52171.jpg
 
 さあ、これからが大変だ。
 歴史物はどうやって書く・・・?
(2017.04.23.記)

驚くべきタフさと責任感

 江戸時代の地域代表

 桜の真っ盛りですが、明治2年(1869)の出来事に頭がいっぱいです。長くなり、恐縮です。
 この年は天候不順でした。1月から雨が多く、6月などは月の内24日間も雨が降る状況でした。お隣の武蔵村山市に伝わる指田日記は
 「6月6日・7日 雨。当年山繭(やままゆ)多し。天保(の頃)午・未・申の三ケ年、山繭多くして酉年に至り、不作続きける故、飢渇の者多くあり、今年又、雨降り山繭多し、夜中、夜着・蒲団を着て、蚊帳をつる者もあり、天保の凶年の時候に似たり、心得あるべし。
 当月、大小の雨、二十四日あり」(指田日記p211)。
と記します。さすがに明治政府の機関も「一宮氷川神社、府内神明宮、日枝神社に、十七日の間、風雨順時五穀成熟の祈願をする」状況でした。
 その最中の7月13日、東大和市域の村々は、近年まれな大風、大雨に見舞われました。大木、建家など多くが吹き倒され、丹精込めた作付けが荒らされました。収穫は壊滅的で、立ち直りの見込みもない状況でした。

 問題は年貢です。普段通りには納められません。減免を願い出ることに決めました。
 9月に入り、芋窪、蔵敷、奈良橋、高木、後ヶ谷、廻り田村の村々で行動を開始します。
 先ずは、減免の嘆願です。

嘆願に韮山県御役所へ

 9月27日朝、芋窪村と蔵敷村の名主が、韮山県御役所(港区)へと出立しました。夕刻に到着、常宿の泉屋に宿泊しました。当時の柴井町にあった宿で、単なる宿泊所と云うよりは様々な情報を提供したり、交換する場でもありました。名主二人は必死になって情報を集めて分析したはずです。

 9月28日朝、両名主は韮山県御役所に嘆願書を出しました。年貢の減免、そのための現地調査の要望です。
 応対した役人の答えは、「今朝方、担当役が県下の情勢を調査に出かけた。廻村先で渡すように」との指示でした。
 先ず、何を置いても現地の実情を調査して貰わなければ、減免はあり得ません。二人は大急ぎで帰村します。

 9月30日、雨の中を戻り、村々の名主を招集しました。
 10月1日、蔵敷村名主杢左衛門方に各村の名主が集まり、県の調査員に直接嘆願することを決めました。
 代表に蔵敷村名主・杢左衛門と廻り田村名主・太郎右衛門が選ばれました。

調査団一行を追います

 10月2日雨、早朝、二人の名主は出発しました。県の調査団一行はどこに居るのか見当を付けなければなりません。
 現在の村山貯水池に沈んだ地域を一峰越して、扇町谷村の名主に様子を聞きました。どうやら、黒須村(入間市)へ立ち寄るらしいとの情報を得ます。ともかく坂戸村までと足を速め、坂戸で宿泊します。

 10月3日曇り、早朝出立 北へ向かい上吉田村(坂戸市)の名主方へ立寄って情報を聞きます。
 調査団一行は、去る28日に中山道大宮を出て、29日比企郡の出丸本郷(川島町)、30日~10月1日野本村(東松山市)、 2日山田村(?)、3日廣野村(嵐山町)、4日中爪村(小川町)泊り
 らしいと教えて貰います。中爪村で嘆願することにして、越辺川を渡り、比企郡坂本札所岩殿山への細道を山伝いに登り、岩殿観音(東松山)へ参詣。菅谷村(嵐山町) に泊まります。

 10月4日雨、中爪村の寄場惣代名主に聞きます。一行はもう少し北の能増村(現・小川町)に泊るとの情報を得ます。雨の中、同村を訪ねます。
 ここで、ようやく担当役人に会う事が出来ました。
 役人は「願いを叶えることはなかなか難しいが、関係書類(内見帳・願書)は預る。いつ行けるかはわからないが、扇町谷村についたらしかるべく回答する」
 とのことでした。二人は小川村に泊まります。

 10月5日曇、朝出立 帰路を急ぎ、青山峠を越て日影村(ときがわ町)・五明村(ときがわ町) ・本郷川を渡り、田中村(ときがわ町)・桃之木村(ときがわまち)・下瀬戸村(ときがわ町)・成瀬村・越生・今市(越生町)・上野村・毛呂本郷(毛呂山町)・小谷村・長瀬村・葛貫村(毛呂山町)・平澤川を渡り、鹿山村(日高市)で泊まります。

 10月6日、双柳村(飯能市)へ出て、野田村・笹井村・根岸村、入間川を越へ、黒須村・扇町谷村に出て、水戸屋で昼食をとりました。そこで偶然にも、韮山県知事・江川氏付添いの役人が同村年寄・太七方に宿泊するとの情報を得ました。これ幸いと、そのまま過ごし、夜、訪ねます。
 そこで、調査団はいずれは武州多摩郡へ出て、それより入間郡へと見分することを聞き取ります。

 この間の状況を記録は「時候伺とともに何かと話し」と淡々と記しています。狭山丘陵北麓まで帰り着き、もう一歩なのにわざわざ帰村を延し、「何かと」話したことは、相当の運動をしたことが推測されます。その夜はわざわざ、扇町谷村の水戸屋へ泊まっています。

10月7日、朝出立、昼後に帰宅、早々に村々へ状況を報告しました。

成果

 長くなりました。その後の流れは次の通りです。

10月12日、扇町谷村名主から書面
10月13日、扇町谷村名主宅で検見役と面会
10月14日、検見実施
11月12日、年貢高80石が53石余となり30%減となった。

 どうにか、韮山県役人の現地調査を実現し、年貢の30%を減額する事ができました。勝ち取ったと云った方が正確でしょう。そのルートを図にしてみました。全ルート徒歩です。ケイタイ電話があれば、関係者の行動はすぐに把握できるでしょうが、訪ねた先での聞き取りが手段です。歩いた道筋を図にしながら、当時の村の責任者のタフさと責任感の強さに驚き入りました。
 内野杢左衛門が記録した里正日誌(10巻p497~530)から復元しました。

埼玉県地図完ルート1


途中、息抜きに観に行った桜が丘地域の桜は見事でした。

DSC_5040.jpg

(2017.04.10.記)

床の間で花見

「ワー、桜だ!」
朝、玄関の戸を開けた連れ合いが嬉しい悲鳴を上げます。
軒下に数本の短い桜の枝先が置かれています。

「昨日は土曜日だから、○○さんの息子さんが帰って来たんだ」
「嬉しい、早速、活けるワ」

息子さんは仲間と植木職をしています。
時には大きな花の展示会の下拵えを担当する事があって
伐りとった端枝を廃棄するとき、何本かを選んで届けてくれます。
バラが多いのですが、今回は桜でした。

「どこが良いかしら。台所では大きいし・・・」
「玄関にしたら」
「でも、デンドロビュームと競合するワ」
「ジャ、床の間だ」

DSC_47963.jpg

活け終わって
「床の間のお花見も良いわね。さあ、空気を入れ換えるから」
と障子を開けると、お隣さんで、○○さんのお母さんの話し声。
 
「ちょっと、見て見て、活けたから」
と呼びに行きます。
「この桜幸せね。 捨てられるところだったのに、こんなにして貰って。
家のお父ちゃんにも見せたいわ」

DSC_48051.jpg

 旦那さんは入院されていて、その状況をお隣さんに話していたのだそうです。

「じゃあ、写真にするから持って行って」

と二三枚焼きました。そしたら、ここにも載せたくなりました。
(2017.04.02.記)
 

結局はバイモに

 「○○(娘)のところに葉書出すんだから、早く撮ってよ」
 「ホイホイ・・・」

 あれが良い、これが良いとせっつかれながら、玄関前だけの庭の花を撮りました。
 3枚に絞って (画像はクリックで大)
 「どれにする?」

 
DSC_4729.jpg

 「海棠ね・・・。もう少し開くとイイわね」

DSC_47091.jpg

 「ウーン、可愛いけど・・・」

DSC_46981.jpg

 「そうだ、これがいい、バイモだっけ?」
 「葉の先っぽが面白いね。花がもう少しこっち向いてくれると良いのにな」
 「充分よ、でも、どんな字書いたっけ?」
 「確か、貝母だと思うよ」
 「何かピーンとこないね。お婆ちゃんは、編笠百合って云ってたっけ」
 「そっちの方が良いか」

 久しぶりに我が家の小さな庭にも花の季節が来ているのを感じました。
           (2017.03.25.記)
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野火止用水

Author:野火止用水
 歴史大好き爺です。

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