のど飴

 「○○さん、これは、気楽にのんびり直さないといけませんね」
 懇意のお医者様から、さとされます。
 アレルギー性鼻炎とかでもう一週間も鼻づまり、咳が続きます。
 ところが、前からの日程が気になります。

 「何とかお助けください!」
 撮りためた市内の石仏の画像を見ながらお願いしました。
 芋窪の慶性院のファイルを開いたときです。
 画像はクリックで大きくなります。

DSC_54981.jpg

 見慣れた庚申塔、弁財天、水天像の中で、真ん中の弁財天だけに花が供えられている。
 何でだろう・・・。

DSC_56081.jpg

 弁財天の特別の日なのかな?
 でも、何か前に供えられている。いつもの詮索癖が出ます。

のど飴

 画像を拡大してみると、供えられているのは、小さな仏様と「フルーツのど飴」です。
 「よほどのことだったんだな」
 待てよ、弁財天って、音楽や芸術の御利益と共に財をなすご利益にお祈りされることが多いはず、喉にも御利益があるのかな・・・?

DSC_3767.jpg

 そう云えば、この弁天様は琵琶ではなくて、頭上に鳥居と宇賀神像を戴き、六本の腕に剣、矢、鈎(こう)、宝珠、弓、輪を持って居られる。つまり、邪気を払い武器を持つ守護神。村山貯水池に沈んだ石川で水の管理が願われた。
 ここで、納得。
 どなたか喉の痛みか咳か、お花をあげて切実にお祈りしたんだ。

 と云うことで、早速、御利益に預かりたくて、のど飴を買って来ました。写真の弁天様に「私もどうぞよろしく」とお祈りしています。(2017.10.13.記)
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ひっくり返して考える

 「おじさん、意外に知恵がないね」
 「・・・・・」
 「そういう時にはひっくり返して考えたらどうなります」

 中学校の歴史担当をしている近所の若先生、明治時代の人口の動きについて聞きに来ました。
 その話が終わって、帰り際に、これからの人口の動きを話したときです。
 結構きついことを云います。

人口ピラミッド1

人口ピラミッド52年
(出典 東大和市人口ビジョン 東大和市HPより クリックで大)

 東大和市の人口推計に伴う人口構造です。
 「これまで、成長盛んだったこの市も、
 推計では2040年にはこうなるってさ。
 若い人と高齢層の関係をどう考えりゃ良い?」
 その時、若先生からの指摘が
 「この表をひっくり返して考えたら」
 ということです。

 「フム・・・」
 思わず唸りました。
 高齢者が主体的に地域を維持して築く・・・。
 若者にハッパ(発破)を掛けられました。

 (2017.10.08.記)

泡幻、幻夢

 「お身内のお子さんですか」
 「いいえ、全く関わりがありません」
 「よくお手入れをされて・・・」
 「供養ですから・・・」

DSC_61201.jpg
(クリックで大)

 道路脇にまつられたお地蔵さんです。
 ご近所の方がお水を取り替え、花を供え、時にはよだれかけを新しくされています。
 どなたが気遣って居られるのか、いつかお話を聞きたかったのが、偶然通りかかって実現しました。

 「ここに、字が彫られているんですが、よく読めないんです。
  ずうーっと、どなたかに、伺いたかったんです」

 書き留めて置いた資料から
  恵了童子 宝暦4年(1754)
  妙真童女 享保10年(1725)
  幻夢童子 寛政3年(1791)
  泡幻童女 宝暦13年(1763)
  智盛童女 享保11年(1726)
  春露童女 明和□□(1764~1771)

 ということがわかっています。とお見せすると

DSC_61231.jpg
(クリックで大)

 「やっぱり、幻夢ですか。そして、泡幻ですね。
  恵で満ちていたのに、おわってしまったんですね。好奇心がいっぱいだったんですね」
 「はい」
 「これって、親御さんの気持ちが、芯から籠められていますね」
 「はい」

 供養されているのは、小さなお子さんであることがわかります。
 それにつけても、この戒名は胸を打ちます。
 これらの年号が彫られた時代は、この地域では稗・粟が主食で、生活は厳しく、米価の変動が激しく、農民は塗炭の苦しみをしています。
 一方で、「奉公人が贅沢になり、雨の場合に、高足駄で傘ををさすような行いがあるから、雇い主は厳重に取り締まれ」などとの村定めをしている状況でした。

 「わかって、良かったです。お水を切らさないようにします」
 「はい」

  なんと答えて良いのかわからず、「はい、はい」ばかりで、帰宅しても困ってしまい、ここに書きました。
 東大和市清水にまつられている「伝兵衛地蔵尊」です。
     (2017.10.01.記)

「宅部の円達坊」(やけべのえんたつぼう)

 昭和2年(1927)3月、村山貯水池(多摩湖)ができあがりました。
 それから90年、多摩湖竣工90周年記念事業が話題になっています。
 「〇〇さん、取水塔近くにあったという三光院や氷川神社のことで、面白いお話がないですか?」
 「うーん、肩のこらないのがいいですね」
 シルバーの集まりの席です。

取水塔3
(クリックで大)

 「かって、村山下貯水池が出来る前、取水塔に近い松や雑木の茂る山の上に氷川神社がありました。 そこに、円達院という法印さんがおりました。御朱印五石の氷川神社をお守りしている修験でした。

 氷川神社の脇を登って南麓の清水村へ続く道は、踏み跡のような細い道で、昼でも気味の悪い道でした。
 円達院は、この道を夜更けに提灯を一つぶらさげて一人で歩いていました。
 ふと、もののけの気配を感じて脇差を抜きました。

 「出ば出ろ、宅部の円達院」

 と大声で叫びながら刀を右に左に振り廻して歩いたそうです。
 修行を積んだ修験もよほど怖かったんでしょう。」(よもやま話から)

出ば出ろのコピー1
(クリックで大)

 近代水道のシンボルである取水塔の近くはこんな雰囲気だったんですね。図右下朱線の路と思われます。

 円達院は実在の人です。1504年、所沢の実蔵坊(じつぞうぼう) 、久米川の福泉(ふくせん)坊と一緒に「円達坊」の名で諸国熊野神社参りの先達(せんだつ) として古文書に現れます。京都聖護院(しょうごいん)の配下でした。中世、狭山丘陵一帯は熊野信仰が盛んであったことがわかります。

 村にお医者様のいなかった頃です。修験は、山で独特の修行を重ね、神社と寺院の間に立って、祈祷やお祓い、まじないをして村人達の生活に密着していました。疱瘡などの流行病には悪病退治の行事を取り持ちました。この修験が氷川神社を管理していたのでした。

 村山貯水池建設の際、この氷川神社は移転しました。近くにあった熊野神社と一緒になって現在の清水神社になりました。
(2017.09.18.記)

今年も実った多摩湖梨

 「ほら、持ってきたわよ」
 「あら、ご本人が来たの、ご丁寧に」
 「ともかく食べて、長生きしてよ」
 気さくに連れ合いの友人が届けて下さった。

DSC_6200.jpg

 見送ってから蓋を開ける、ずっしり重い。

 「今年も実のったんだ、天候が変で、どうかと思ったけど」
 「ともかく頂きましょうよ」

DSC_6203.jpg
クリックで大

 箱から出すのももどかしい。
 直径11センチ、「秀玉」(しゅうぎょく)の名の通りすぐれもの。みずみずしく、甘さも適度。
 「やっぱり美味しい!」
 「ほんとにうまい。長生きしろって、云ってたぜ」
 「そうね、ありがたいわ」

 味も良いですが、空堀川が流路を少しずつ変えて行った跡の砂地への栽培。
 「ここまでするのに、50年かかってんだ」
 「園主の○○さんは熱心だものね」
 本当にご苦労の固まりです。

多摩湖梨
クリックで大

また、来年の豊作を祈ります。
(2017.09.05.記)
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野火止用水

Author:野火止用水
 歴史大好き爺です。

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